リュック・フェラーリの『プレスク・リヤン協会』(簡易日本語版)

フランス現代音楽における重要な作曲家の一人である、リュック・フェラーリ(Luc Ferrari:1929~2005)に関する情報を主に日本語でお伝えします。プレスク・リヤン協会(Association Presque Rien)は彼の友人達によってパリで設立されました。現在もその精力的な活動の下で続々と彼の新しい作品や楽曲、映画、インスタレーションなどが上演されています。 なお、より詳しい情報は、associationpresquerien@gmail.comまでお問い合わせください

2012-10-01から1ヶ月間の記事一覧

リュック・フェラーリとの出会い7

そして、いよいよ、お目にかかるのだが、実際は余りにあがってしまって、聞きたいことを訊くので精一杯で、他のことに余り目がいかなかったというのが正直なところ。ただ、アトリエの壁にかかっていた『世界の起源』の絵と、不思議な上半身だけのマネキンは…

リュック・フェラーリとの出会い6

というわけで、1999年、20世紀も押し詰まって、リュック・フェラーリへのインタビューが実現するのであった。場所は、ナシオンのメトロ駅近くの、アトリエ・ポストビリッヒ。これはヴォルテール通りからちょっと入った、ヴォルテール団地(?cité というのを…

インスタレーション『思い出の循環』の写真

インスタレーション『思い出の循環 Cycle des souvenirs』は、パリでは2000年6月に初演された。これは、恐らくその時の準備の写真。http://www.facebook.com/photo.php?fbid=294413017334365&set=pb.292591437516523.-2207520000.1351410070&type=3&theater

リュック・フェラーリの写真

リュック・フェラーリの写真。アミアンにて、1967年。これはヴェルゴの『Und so weiter』のジャケットを飾った。

リュック・フェラーリとの出会い5

というわけで、いろいろと『ユリイカ』には書かせてもらっていて、一時期、大里さんがフランスにいた頃に担当だった「カルチャーマップ」のフランス篇も、時々、担当させてもらったりした。その時は、それらの連載を一つにまとめて「記憶」についての一書を…

リュック・フェラーリとの出会い4

しかし、90年代は何しろ生きるのに精一杯だった、と言っても過言ではない。パリ東洋語学校は容赦なく二年の任期でクビを切られ、いろいろと相談したフランス人教師たち、東大の比較の先輩であるはずのジャン=ジャック・オリガス、東大での恩師であるアラン…

リュック・フェラーリとの出会い3

私は1989年の4月から東大助手(フランス語科)として働くことになったので、しばらくはフランスともお別れであった。助手をしばらくやった後で、どこかの常勤の職を得るというのが、当時の普通のパターンだったのだが、それが、音楽学では何のポストもない、…

フェラーリのCDを買えるお店(京都編)補遺

NISHIKAWA さんのツィートで以下のお店でもけっこう買えるという情報が。 パララックス・レコード http://parallaxrecords.jp/三条通、御幸町通り辺にあるようです。こんど、行ってみよっと。

フェラーリのCDを買えるお店(京都編)

京都ではやはりJEUGIAでしょうね。私は三条本店によく行っていました。(今は京都に住んでいないのでそれほど行かない。)本店なので多分一番大きい。 http://www.jeugia.co.jp/info/shop/sanjo.html 四条店もあります。 http://www.jeugia.co.jp/info/shop/…

リュック・フェラーリとの出会い2

その大里さんもやはり、リュック・フェラーリのファンであった。(そして、近藤譲ファンでも!彼は、近藤譲の初期作品 ― おお、タイトルを忘れた、トランペットソロの作品だったと思う ― の貴重な音源を持っていて、それを日本に一時帰国していた時に、彼の…

zero gravity’s blog

http://zerogravity1996.blogspot.jp/2012/10/contes-sentimentaux.html

センチメンタル・テールズ お問い合わせ一覧

【『センチメンタル・テールズ』日程、ご予約、お問い合わせ先一覧】11月5日(月)〜11月9日(金) インスタレーション『思い出の循環』 会場:同志社女子大学(京都府京田辺市)mscギャラリー 時間:9:30〜18:00 入場料:無料 問い合わせ先:同志社女子…

リュック・フェラーリとの出会い1

こうして「ラジオ・ドラマからヘールシュピールへ」でも述べたように、私がリュック・フェラーリと出会ったのは、近藤譲の著書『線の音楽』の中でが最初であった。そこには、何も手つかずの環境音がただひたすら録音されているだけの作品として《ほとんど何…

ラジオ・ドラマからヘールシュピールへ4の補遺の訂正

ああ、何てややこしい。というわけで、「Numero Quatro ヌメロ・クアトロ」について、三つの作品で使われていると述べたのだが、ちょっと不安になったので、もう一度《盲人の階段》を聴き直してみた。すると……、ないのである。よーく考えてみると、この《逸…

フェラーリのCDを買えるお店(神戸編)

神戸では、HMVでしょうか。しかし、大阪のタワレコよりは、品揃えが少ない。 http://www.hmv.co.jp/store/SAN/しかし、サイトで検索すると、でるわでるわ。 http://www.hmv.co.jp/search/keyword_Luc+Ferrari/target_SEARCH/type_sr/もう一つは、ジュンク堂…

フェラーリのCDを買えるお店

大阪では梅田マルビル地下にあるタワーレコードが充実しています。 http://tower.jp/store/kinki/UmedaMarubiru単にタワーレコードのサイトで検索しても、こんなにヒット! http://tower.jp/artist/1337667/Luc-Ferrariすごい!

Luc Ferrari作品との出会い 〜ビターテイストな・・・センチメンタル〜 其の1

私がLuc Ferrari作品をはじめて聴いたのは、確か大学3〜4年のときだったような気がする。「Acousmatrix 3」というCDを心斎橋のCD屋さんで入手したのがきっかけだった。大阪芸大の音楽工学コースに在籍していたので、授業中にいろいろな電子音楽やミュージッ…

ラジオ・ドラマからヘールシュピールへ5

さて、今回上演されるリュック・フェラーリ作品の中で一番、ヘールシュピールらしい(ということは、ラジオで上演されるドラマらしいとも言える)ものは、《ファー・ウエスト・ニュース》No.2 であろう。これは1998年9月にアメリカ演奏旅行をしたフェラーリ…

石上和也上演作品の紹介です。タイトル「須磨2012 short version」

今回上演させていただく作品「須磨2012 short version」は、「2nd49」「須磨」の2作品の音素材を使用して制作しました(というか、現在制作中です)。 「2nd49」は、2006年、ドイツ国営放送でのヘールシュピール作品として制作した49分49秒の作品で、「父親…

リュック・フェラーリとは誰であったか〜開閉、遺伝子組み換えアーカイヴ、ほとんど何もない第二番から〜

渡辺愛です。2009年2月14日、東京・飯田橋の日仏学院でリュック・フェラーリの作品をいくつかアクースモニウム演奏しました。その際にプログラムに寄稿した文章を転載します。4年も前の文なので、ちょっと恥ずかしいところもありますが...。 なお、「ほとん…

かつふじたまこ上演作品の紹介です タイトル『私のおうちを壊さないで〜Don't Destroy My Home〜』

タイトル『私のおうちを壊さないで〜Don't Destroy My Home〜』この作品は主に、私の実家に眠っていたオープンテープに録音されていた、若き日の父や幼い姉や私(?)の声、そして数十年の時を隔ててHDに録音された甥っ子達の声で構成されています。つまり、…

ヘールシュピール。世界の音。私のセンチメンタル。

ジャクリーヌ・コー著『リュック・フェラーリとほとんど何もない』の帯の言葉「100人の聴衆に100の音楽がある、私はマイク。」を見てドキッとしたのを覚えている。作品を作るようになってから、ぼんやりと耳を澄ますことが多くなった。 街の中で、電車の中で…

ラジオ・ドラマからヘールシュピールへ4の補遺

ちなみに、この《逸話的なもの》の最初のエピソード、マドリッドでのそれはまた、「ヌメロ・クアトロ」(4番さん?)というタイトルがあり、まさにその言葉がさまざまな人物によって連呼されるのだが、これは1991年の《盲人の階段》にも登場するし、未発表の…

ラジオ・ドラマからヘールシュピールへ4(逸話的音楽を通って)

《異型接合体》をフェラーリは「逸話的音楽」と名付けた。つまりそれは、何かを物語っているのだが、それは「アネクドート」、「逸話」なのであって、大した話ではないのだ。日本語で「逸話」の「逸」は、「逸脱」の「逸」だと知ったら、リュックは手を叩い…

音遊び・録音の記憶 〜センチメンタルな思い出〜 その2

私が子供の頃、今みたいにビデオカメラなんかは庶民の家庭にはなかった。 当時8mmフィルムのカメラを持っていて自宅で上映会を開くことが出来るのはで裕福な家庭だった。クラスに一人くらいしか持ってなかった気がする。そんなドラえもんのスネ夫のような奴…

音遊び・録音の記憶 〜センチメンタルな思い出〜

私が音に興味を持ったのは、恐らく2〜3歳の頃だと思う。 父親のクラシック・ギター、ビー玉が私のオモチャだった。 ギターの弦の上にビー玉を転がして、変な音がするのを楽しんでた。 父親はカセットテープレコーダーで私の声を録音してくれていた。 恐らく2…

ラジオ・ドラマからヘールシュピールへ3(またはその逆)

《ほとんど何もない第二》は、「こうして夜は私の多重頭脳の中で続いて行く」という副題がついている。(余談だが、このタイトルはいつもアンリ・デュティユーの弦楽四重奏曲「こうして夜は」を思い出させる。何か関係がありそうだけど……。)これはまさしく…

同志社女子大学でのインスタレーション

同志社女子大学でのインスタレーションのチラシです。

ラジオ・ドラマからヘールシュピールへ2

私にとっては、だからまずフェラーリの「逸話的音楽」があって、そこから彼のさまざまなラジオへの取り組みを知るようになった。そして《ほとんど何もない第一 Presque rien no.1》については、当時はレコードも手に入らず、CDなどは存在せず、近藤譲氏もど…

ラジオ・ドラマ4(ラジオ・ドラマからヘールシュピールへ)

ピエール・シェフェールは、ミュージック・コンクレートを「高級な」音楽にしたかった。そのためには「抽象的な」音楽である必要があったのだ。『音楽的オブジェ論』を書いて、ミュージック・コンクレートのソルフェージュを完成させたのも、そのせいだ。し…