リュック・フェラーリの『プレスク・リヤン協会』(簡易日本語版)

フランス現代音楽における重要な作曲家の一人である、リュック・フェラーリ(Luc Ferrari:1929~2005)に関する情報を主に日本語でお伝えします。プレスク・リヤン協会(Association Presque Rien)は彼の友人達によってパリで設立されました。現在もその精力的な活動の下で続々と彼の新しい作品や楽曲、映画、インスタレーションなどが上演されています。 なお、より詳しい情報は、associationpresquerien@gmail.comまでお問い合わせください

リュック・フェラーリとの出会い7

そして、いよいよ、お目にかかるのだが、実際は余りにあがってしまって、聞きたいことを訊くので精一杯で、他のことに余り目がいかなかったというのが正直なところ。ただ、アトリエの壁にかかっていた『世界の起源』の絵と、不思議な上半身だけのマネキンは印象に残っている。そして、真ん中に陣取っているコンソール(ミキサー?)とコンピュータ。その時は録音をしたのだったかさえ覚えていない。しかし、きちんと原稿におこして『ユリイカ』に載せてもらったのだから、恐らく録音したのだろう。しかし、数度に渡る引っ越しで恐らくテープは紛失してしまったと思われる。第一、パリの家の地下に物置スペースがあったのだが、そこは余りに湿気が多いために、段ボールに入れて置いてあった書籍はたいていが黴びてぼろぼろになってしまったし(返す返すも残念なのが、大岡昇平の『中原中也』が消滅してしまったこと、そしてまた、そこに ― 多分 ― 入れておいた、亡くなった横浜の伯父の家から遺品として貰った牧野信一の自筆原稿も失くなってしまった)、当時の妻の実家のモンペリエにも多くの書籍や資料を置いておいたのだが、今度はここが洪水(!)で、水浸しになってしまい、いろいろダメになってしまった(特にダニエル・シャルル先生から頂いていた多くの手紙類が!)。今の大学の研究室と自宅に置いてあるものは、本当に貴重なサバイバル品なのである(水から救出されたアーカイブ!)。さて、いずれにせよ、その時のインタビューが「音楽的散歩者の冒険 − リュック・フェラーリ、インタヴュー」である。『ユリイカ』2000年5月号に載った。インタビュー後に、これは訳書の解説でも書いたが、「私のコンパーニュがもうすぐ来るから一緒に食事をしよう」と誘われたのだが、その時に初めて「compagne」という表現を聞いた。もとはもちろん「パンを共にする者」の意味だから、コンパニオンなどと同じ語源だが、これはいわば「連れ」、「共同生活者」であって、普通に言う「妻」の意味ではない。それだったら、「ma femme」(直訳すれば、私の女)とか「mon épouse」(私の妻)と言うはずだ。そこに、ある種のはにかみを感じたし、または今となって思えば、68年世代(日本で言えば、うーむ、全共闘世代?)のある種の反骨精神もあるだろう。いずれにせよ、そこで登場するのが、今回来日なさるブリュンヒルド・フェラーリさんである。その日は、常に夫をたて、いつも後ろに控えていた印象がある。近くのカフェで一緒に食事をしたのだった。それ以来、つきあいが始まることになる。(続く)(椎名亮輔)