ピエール・シェフェールは、ミュージック・コンクレートを「高級な」音楽にしたかった。そのためには「抽象的な」音楽である必要があったのだ。『音楽的オブジェ論』を書いて、ミュージック・コンクレートのソルフェージュを完成させたのも、そのせいだ。しかし、そこにフェラーリは反動的姿勢、ドグマ的狭量を感じ取った。1964年、フェラーリは『異型接合体(エテロジゴット)』を書いて、シェフェールと訣別する。その作品の中には、多くの会話、それとわかるような雑音が含まれていた。この「不純さ」をシェフェールは蛇蝎のごとく嫌ったのだ。まさしく、フェラーリはその出発点からポストモダンである。私自身がフェラーリの作品を知ったのは、『ほとんど何もない第一番海辺の夜明け』(1970)が最初である。それも、最初は音源も何もなく、名前だけ。近藤譲の『線の音楽』という書物の中で、出会ったのだった。(続く)(椎名亮輔)