リュック・フェラーリの『プレスク・リヤン協会』(簡易日本語版)

フランス現代音楽における重要な作曲家の一人である、リュック・フェラーリ(Luc Ferrari:1929~2005)に関する情報を主に日本語でお伝えします。プレスク・リヤン協会(Association Presque Rien)は彼の友人達によってパリで設立されました。現在もその精力的な活動の下で続々と彼の新しい作品や楽曲、映画、インスタレーションなどが上演されています。 なお、より詳しい情報は、associationpresquerien@gmail.comまでお問い合わせください

リュック・フェラーリとの出会い4

しかし、90年代は何しろ生きるのに精一杯だった、と言っても過言ではない。パリ東洋語学校は容赦なく二年の任期でクビを切られ、いろいろと相談したフランス人教師たち、東大の比較の先輩であるはずのジャン=ジャック・オリガス、東大での恩師であるアラン・ロシェの友人として好意を見せようとするかのようなフランソワ・マセ(どちらも日本人を妻に持ち、もちろん親日家なのだろうが)、やはり一介の日本人講師の浮沈などは、どうでもいいと言えば、どうでもいいのだろう、何もしてくれなかった。まあ、しかし、フランスの(フランス人だけではない)日本研究の世界の狭量というか、嫉妬心と足の引っ張り合いと……、いや、もう言うまい、きりがないから。だいいち、こんなことはフェラーリとは何の関係もない。まあ、忙しかったわけです。そんな中でも、こつこつとフェラーリ関係のレコードやCDや集め続け、さらに嬉しかったのは、早いうちに絶版になってしまってもう絶対に手に入らないだろうと思われる楽譜《日記の断片》が手に入ったことだ。これは、ピアニストを中心に何人かの女性の語り手や俳優がからむ、シアターピースである。また、石上君も言及しているアクースマトリックスのCDとか、これももう絶版だが《砕氷船》CD、これはまず最初にラジオで聴いた覚えがある。だから、この作品のことは別項「ヘールシュピールうんぬん」で詳しく取り上げたい。とこうするうちに、歳月は経って行ってしまうのだねえ。90年代は何となくあっと言うまであったような気もする。そしてこの時期、もう大里さんは横浜国大に職を得られて、帰国してしまっていたので、彼から中古レコードの指南をあおぐことはできなかった。しかし、彼を通して(だったと思うが)、雑誌の『ユリイカ』と関係ができた。いくつかの論を書く、ジョン・ケージについて(これは博士論文を1994年に提出するのだが、その関連ネタ)、グレン・グールドについて、ブーレーズについて、そして何と!フランク・ザッパについて。ザッパについては、これもまた大里さんに連れられて、80年代にパリのコンサートを聴きに行っていたのがあって、そこで得た感銘を基に、まさに猛勉強で書いたのだったが、その後に、大里さんから「こんなに成長なさって、感無量です」と誉められたのが、とても嬉しかったのを覚えている。(続く)(椎名亮輔)