リュック・フェラーリの『プレスク・リヤン協会』(簡易日本語版)

フランス現代音楽における重要な作曲家の一人である、リュック・フェラーリ(Luc Ferrari:1929~2005)に関する情報を主に日本語でお伝えします。プレスク・リヤン協会(Association Presque Rien)は彼の友人達によってパリで設立されました。現在もその精力的な活動の下で続々と彼の新しい作品や楽曲、映画、インスタレーションなどが上演されています。 なお、より詳しい情報は、associationpresquerien@gmail.comまでお問い合わせください

特集二本立て!<『リュック・フェラーリ センチメンタル・テールズ』出版記念、大いなるリミックス~センチメンタル・テールズ> 

 

 

全国二万五千人超のリュック・フェラーリファンのみなさま、こんばんは。

 

 

お待たせしました!

創設10周年を目前に控えたプレスク・リヤン協会(本部:パリ)。

今日は日本の読者の方だけではなく、海外のみなさまにもぜひ(翻訳してでも)読んでいただきたい、「大いなるリミックス」の素敵な記事を二本立てで掲載いたします。

 

まず一本目は同志社大学寒梅館クローバホールで先月開催された <『リュック・フェラーリ センチメンタル・テールズ』出版記念、大いなるリミックス~センチメンタル・テールズ> について、東京藝術大学博士課程の佐藤亜矢子さんにご寄稿をいただきました。

 

そして今回ご好評に応え、前回前々回と、日本のみならず、海外からも少なくない熱狂と憶測と賞賛を呼んでいると評判のセンチ☆麺子さんによるマンガも掲載いたしますよ!(センチ☆麺子先生へのファンレター、原稿依頼などは支局メールアカウントでも受付中です)

 

 

それでは、まず佐藤亜矢子さんの寄稿から、どうぞ!

 

 

「2016年5月10日、『リュック・フェラーリ センチメンタル・テールズ あるいは自伝としての芸術』出版記念イベントのため、同志社大学寒梅館クローバーホールを訪れました。ここ寒梅館は、これまでも度々リュック・フェラーリにまつわるイベントが行われてきた会場ですので、フェラーリファンには御馴染みの場所とも言えるでしょう。

 

登壇したのは『センチメンタル・テールズ』の著・訳者である椎名亮輔さんと筒井はる香さん、司会・進行の荏開津(えがいつ)広さんです。フェラーリが監督した映画《大いなるリハーサル  セシル・テイラー、あるいはフリー・ジャズの発見》(1966)を鑑賞したことをきっかけに、ジャンルを跨いで活動する彼の創作に興味を抱いたという荏開津さんが、お二人に問いかけていく形でトークが行われました。

 

まずは椎名さんから、書籍とその要であるヘールシュピール《センチメンタル・テールズ contes sentimentaux》(1989-94) について解説がありました。《センチメンタル・テールズ》は、フェラーリが伴侶ブリュンヒルドフェラーリ女史と協働して作り上げたラジオ作品です。ドイツのバーデン=バーデンで制作、放送されました。11の回に分かれた本作は、作品の中に作品が入り込み、複雑な入れ子構造になっています。フェラーリ自身が過去に作曲した音楽作品にまつわる物語を語るというのが、事の趣です。それも、プログラムノートの粗筋を解説するのではなく、かといって芝居のように演技するのでもない、夫妻と友人たちによる日常的で気取りのない会話が連なります。フランス語によるフェラーリの言葉に続いて、夫人がドイツ語に翻訳する、あるいはドイツ語で応答する、というのが基本ですが、時に反転してフェラーリがドイツ語を呟いてみたり、二つの言語が同時に現れたりもします。語りの意味内容が分からずとも、言葉と音楽の織りなす綾を味わえる作品です。とはいえ、彼らが何について喋っているのかを理解できたとしたら、当然味わいはより一層深まるでしょう。書籍はその一助となるどころか、作品の面白さを何倍にも膨らませてくれます。自伝やポートレートも加えて多方向からフェラーリ像を堪能することができる、滋味豊かな一冊です。このヘールシュピールは台本通りには決して進まないのがまた妙味で、台本にはない相槌やツッコミも登場します。椎名氏と筒井氏による翻訳は、主に台本を参照しつつ、CDとして出版された音源を聴きながら行われており、煩雑な仕事であったことが想像されます。

 

書籍のもう一つの柱が、フェラーリの自伝です。時に複数の生没年を記し、それに自ら疑いをかけてみたり、作曲のアイディアを詩的な言葉で綴ったりした「一筋縄ではいかない」自伝です。書籍の中では18の自伝を読むことができますが、あるものはフェラーリ自らによって削除され、あるものは文字さえありません。《センチメンタル・テールズ》の台本の中にも自伝が幾つか登場します。自作を語る《センチメンタル・テールズ》自体が自伝的性格を孕んでいるといえます。

 

筒井さんからはヘールシュピールそのものについての説明がありました。ヘールシュピール Hörspielとは、ドイツ語で「聞く」を意味するhörenと「劇」を意味するspielから出来た言葉です。1923年にドイツでラジオ放送が始まり、翌年には早速最初のヘールシュピールが作られました。当初は文学作品の朗読や生の芝居をラジオのスピーカーを通して放送することから始まり、60年代以降テクノロジーの発展によって様々な前衛的試みも行われるようになりました。この頃、バーデン=バーデンの南西ドイツ放送(当時のSWF)でヘールシュピールを手掛けていたヘルマン・ナーバー Hermann Naber が《異型接合体 Hétérozygote》(1964) を聴いたことからフェラーリに声をかけ、70年頃よりフェラーリもヘールシュピールを手掛けることになります。《センチメンタル・テールズ》だけでも11ありますが、他にも《肖像=戯れ Portrait-Spiel》(1971)、《いま Jetzt》(1982) など、フェラーリは生涯幾つものヘールシュピール作品を創作しました。

 

トークの合間にはフェラーリの音楽が挟み込まれました。初めの1曲は《異型接合体》です。フェラーリにとっての野心作でした。椎名さんより、フェラーリの活動において重要な転換点となる作品であったことが紹介されました。1950年代後半からピエール・シェフェールらのグループGRMに参加し、ミュジック・コンクレートの実験を始めたフェラーリですが、1964年に発表した本作によってシェフェールとの態度の相違が露呈します。具体的な音を使って抽象的な表現を目論んだシェフェールの意図と、出自の判る現実的な音を組み合わせて展開した《異型接合体》の方向性は真逆のものでした。それぞれ二人の考える具体と抽象というものの解釈が異なっていたのです。荏開津さんは、現実的な音を用いながらも具体的なストーリーは無く、分かりやすいオチを作るわけでもないという特徴こそが本作の魅力である、と語ります。

 

《センチメンタル・テールズ》からは《第3回》を聴きました。1978年に作曲された器楽とテープによるミクスト作品《北風の見たもの Ce qu'a vu le Cers》 を取り巻くエピソードです。1976年の夏、フェラーリ夫妻はヴァカンスの行き先を決めるため、庭で水撒きをしていた友人に大きなフランス地図の上へ水を一滴放ってもらいます。偶然に滴が落ちたのが、南仏コルビエール地方の山岳地帯に位置するモンガイヤール Montgaillard でした。レコーダーとカメラを持ってモンガイヤールを訪ねたところ、三軒の家と一つの塔しかなかったため、近くの村へと足を運びます。辿り着いたのがトゥシャン Tuchan であり、《第3回》の舞台となる村です。不思議な巡り合わせで訪問することとなった地で、夫妻は村人たちに話しかけます。彼らの話題の中心は、政治に関わる内容。1968年5月革命の最中に街の喧騒を録音したり、1974年カーネーション革命後のポルトガルを訪問するなど、日頃から社会の動向に敏感なフェラーリは、政治に対する村人たちの様々な主張や見解に耳を傾け、マイクを向け、録音しました。彼らの会話と夫妻の声、音楽、環境音とが幾層にも重なって、《第3回》の鮮やかな30分間が仕立て上げられました。

フェラーリが「想像の民俗音楽(フォークロア)」と呼ぶ、変拍子とラテン風と中世の旋法風の旋律が混合された《北風の見たもの》の器楽部分は、トゥシャンで出会ったアンリ・フーレス Henry Fourèsのカルテットが演奏しています。ちなみにフーレスとの出会いのエピソードは《センチメンタル・テールズ 第4回》で《森の歌 La chanson de la forêt》(1982) と共に聞くことができます。フーレスは後に、フェラーリが設立した回路の詩神協会 La Muse en Circuitで会長職を務めることとなる人物です。

フルート、サックス、パーカッション、ギター、そしてフーレスが弾くピアノによる快活で開放的な音楽と絡み合うのは、虫の声や教会の鐘などの環境音。トゥシャンでの彼らの記憶を呼び覚ますように立ち現れます。トークイベントの最中に聴いた《ほとんど何もない第二番「こうして夜は私の多重頭脳の中で続いていく」Presque rien no 2. "Ainsi continue la nuit dans ma tête multiple"》(1977) でも、同じ環境音が登場していたことに気付いた方もいらっしゃるのではないかと思います。《ほとんど何もない第二番》もトゥシャン訪問を機に創作された作品の一つです。夜の風景にフェラーリ夫妻の密やかな会話や囁き声が響く、親密さに満ちた楽曲です。

椎名さんは、intime(内密、秘密、内面、個人的、私的、親密、仲がいい)とは《センチメンタル・テールズ》を含むフェラーリの多くの作品に見られる特徴の一つであり、フェラーリの芸術の核心を表現していると言います。書籍の中でも、音楽の世界でintimeということについて語った作曲家は居らず、これまで音楽とは無縁とされてきた概念であると述べられています。またフェラーリは《ほとんど何もない第二番》を作曲後「あまりに内密的すぎる」として2年間公開を躊躇っていました。続く《ほとんど何もない、少女たちとともに Presque rien avec filles》(1989)、《ほとんど何もない第四番「村への登攀」 Presque rien no 4. "La remontée du village"》(1990-98) も人々の自然な会話や囁きが散りばめられたintimeな作品といえます。

また筒井さんは、フェラーリが親密で日常的な口調でラジオの聴衆へと直接語りかけるようにヘールシュピールを書いた、という夫人の証言を紹介しました。ドイツで《センチメンタル・テールズ》が放送されたのは夜の時間帯であり、聴衆は自宅というintimeな空間でくつろぎながら聴いたはずです。

 

イベントの締め括りにはフェラーリが音楽を担当した短編映画が2作品上映されました。《エチュード Étude》(1961)、《連続、不連続 Continu, discontinu》(1959)というピョートル・カムラー監督による短編映画です。フェラーリが逸話的音楽 musique anecdotique を始める前の時代、GRMでシェフェールらと共にミュジック・コンクレートの創作を行っていた頃のものです。どこか色気のある金管木管・弦の音塊や、瞬間ごとに絶えず表情を変化させるマルチ・パーカッションに、抽象の中にある色彩の豊かさを感じた作品でした。貴重な2つの映画を鑑賞し、興奮冷めやらぬままイベントは幕を閉じました。」

 

 

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