リュック・フェラーリの『プレスク・リヤン協会』(簡易日本語版)

フランス現代音楽における重要な作曲家の一人である、リュック・フェラーリ(Luc Ferrari:1929~2005)に関する情報を主に日本語でお伝えします。プレスク・リヤン協会(Association Presque Rien)は彼の友人達によってパリで設立されました。現在もその精力的な活動の下で続々と彼の新しい作品や楽曲、映画、インスタレーションなどが上演されています。 なお、より詳しい情報は、associationpresquerien@gmail.comまでお問い合わせください

【寄稿】リュック・フェラーリと「大いなるリハーサル」(メシアン編、シェルヘン編)

 

全国二万五千人超のリュック・フェラーリファンのみなさま、こんばんは。

5月14日、京都の同志社大学寒梅館クローバーホールでリュック・フェラーリ、ジェラール・パトリス制作の「大いなるリハーサル」シリーズより、『メシアンの《われ死者の復活を待ち望む》』、『一人の男が人生を音楽に捧げる時 — ヘルマン・シェルヘンの肖像』が日本語字幕付きで上映されます。

 

 

この作品の魅力について、上映に先立ち当日16:30から開催される「特別講座:挑戦と継続〜ヨーロッパの音楽教育が作り上げる力〜(日・EUフレンドシップウィーク)」で講演していただく椎名亮輔さん(同志社女子大学教授、プレスク・リヤン協会日本支局長)よりご寄稿いただきました。

 

この特別講座、そして参考上映は5月7日より始まっていて、14日は上記の2本、そして5月21日にはシュトックハウゼン篇が上映されます。

概要については以下の記事とフライヤーをご覧ください。

association-presquerien.hatenablog.com

 

7日の講座ではヴァレーズをとりまく人脈とフランスの音楽教育図を手がかりとして、なぜフェラーリがこの作品を撮らなくてはならなかったのかを導き出していく非常に興味深い内容だったということです。

 

今回はフェラーリに関する資料展示コーナーと小さな物販ブースも設けています。リュック・フェラーリ生誕から90周年、ここ最近のヨーロッパでのフェラーリを取り巻く、新しい動きを少しでも感じていただけたらと思います。

 

 

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大いなるリハーサルシリーズ『メシアンの《われ死者の復活を待ち望む》』1965年

 

 オリヴィエ・メシアンは、ピアノ独奏のための《幼子イエスに注がれる20の眼差し》や大管弦楽のための《トゥーランガリラ交響曲》、さらには巨大なオペラ《アッシジの聖フランチェスコ》などで有名だが、それらの作品全てに見られる彼の音楽の特徴、宗教的神秘主義、インド古典音楽のリズム、全世界から集められた様々な鳥の歌、極度に色彩的な和声(メシアンは音を聞くと色が見える所謂「色聴」の持ち主だった)などは、この二つの世界大戦での死者を弔う為の音楽《われ死者の復活を待ち望む》でもはっきりと見られる。その上、この作品が弦楽器を全く使わず、金管楽器木管楽器・多様な打楽器だけで作曲されている事、そしてメシアンが反響の非常に豊かな演奏会場を考慮した為に、それらのメシアン音楽のエッセンスが拡大されたスケールで見出される事になった。

 映画は、全体が5つの部分から成るこの作品の各部分について、まず作曲者のメシアンが説明をし、その後、作曲者を背後にして、指揮者のセルジュ・ボドによる綿密なリハーサルを映し出す。リハーサルの間、適宜メシアンは自分の意図に沿わない部分について注文を出して行く。それを指揮者ボドは汲み取りながら、しかし自分の理解できない所は率直に作曲者に問い質し、二人共同で楽譜の精査を行うなど、我々はこの演奏が殆ど初演だった事を知っている事から、一つの新たな作品を「演奏=実現」して行くについて、作曲家と演奏者の親密なコラボレーションの現場の熱気を生で感じ取る事ができるのだ。

 しかしまた、この映画の中では、コラボレーションするのは作曲家と演奏者達だけではない。映像もコラボする。前述のような非常に綿密なリハーサル風景は隅々まで音楽を知っている事が必要なのは言うまでもないが、リュック・フェラーリは、その音楽をただ音響としてなぞるだけでは飽き足らない。彼は常に創造者であり、映画において彼が生み出すのは、音響と映像のクリエイティブな関係性だ。メシアン音楽の音響の大きな塊に対して、フェラーリは時に、シャルトル大聖堂の巨大な薔薇窓を配したり、内陣大アーケードの巨石のモザイクを下から舐め上げるように写して行く。これは映像の作曲=コンポジションである。

 

 

 

大いなるリハーサルシリーズ『一人の男が人生を音楽に捧げる時 ― ヘルマン・シェルヘンの肖像』(1966年)

 

 ヘルマン・シェルヘン(1891~1966)は既に伝説である。彼こそがあのシェーンベルクの妖しくも艶やかな不協和音に満ちた作品《月に憑かれたピエロ》を1912年に初演し、その後も現代音楽の難解な作品を敢然と擁護し演奏を続けたのだ。彼が初演を振った現代音楽作曲家達のリストは長い。ベルク、ウェーベルンヒンデミット、ハーバ、ダラピッコラ、ヴァレーズ、ノーノ、シュトックハウゼン、ヘンツェ、クセナキスバリフ……。特に、我々はすでに「大いなるリハーサル」シリーズのヴァレーズ編で、ヴァレーズの《砂漠》初演時の一大スキャンダルについては知っているが、時の文部大臣が騒ぎを鎮めるために警察まで導入したような大パニックに包まれた演奏会場で、ただ一人黙々と指揮を続けていたシェルヘンの姿は後世まで語り継がれるに値する。

 彼はしかし、現代音楽だけを演奏していた訳ではない。彼のレパートリーには、バッハから始まり、ベートーヴェンを通って、マーラーにまで至る正統派クラシック音楽も重要な位置を占めている。その指揮スタイルは必ずしも「正統派」ではなかったにせよ、彼の内面に燃えたぎる「音楽」は常に人を魅了して已まないものだった。それはこの映画の中で、彼自身が管弦楽用に編曲したバッハ《フーガの技法》のリハーサル風景でも垣間見る事ができる。その指示は細部まで的確であり、言う事をいつも聞く訳ではないオケ奏者達を時には叱り、時には褒め、最終的には自分の目的地にまで引き摺って行くのだ。《フーガの技法》はバッハの最後の作品(14番二重フーガはBACHのテーマが出て来た所で、作曲者の死により永遠に途切れてしまっている)だが、シェルヘンもこの作品の演奏後3ヶ月後には亡くなってしまう。まさに音楽芸術に一生を捧げて「燃え尽きた」男の最後の「肖像」がここには永遠に焼き付けられているのだ。

 見所は他にもあって、特にスイスのイタリア国境近くグラヴェサーノにあった彼の電子音響スタジオ(自宅の庭に建てたものらしい)の最重要設備、あらゆる方向に回転する球体に多数のスピーカーを付けた装置の実際が見られるのはこの映画だけである。フェラーリクセナキスと一緒にこのスタジオでの合宿に招待され、一緒にフランスから車を駆って馳せ参じる訳だが、その車中で「ギリシャっぽい」という事でタイトルが決まったフェラーリの作品《トートロゴス》についても思い起こさずにはいられない。

 

【参考過去記事】

【この機会、逃せない!】ついにフェラーリの映画「大いなるリハーサル」を見るチャンスが5月、京都で! - リュック・フェラーリの『プレスク・リヤン協会』(簡易日本語版)