Brunhild Ferrari & Jérôme Hansen (éd.), Luc Ferrari, Musiques dans les spasmes, Écrits (1951 – 2005), les presses du réel, 2017.
リュック・フェラーリ(1929~2005)の1951年から2005年までの著作集である。編者は夫人のブリュンヒルド・フェラーリと、フェラーリ研究家のジェローム・ハンセン。表題にもなっている「痙攣の中の音楽」は1988年に書かれた小説であり、中に収められている。
目次を見よう。
謝辞
ジム・オルークによる緒言
青年期の詩(1951~1958)
初期作品(1952~1956)
ヴィジョンの諸段階/生産の諸段階(1958)
引き伸ばされた音のエチュード(1958)
ドラゴンの頭としっぽ(1959~1960)
ソシエテI(1965)
などなど[ウント・ゾー・ヴァイター](1965~1966)
ピエール・シェフェールへの手紙(1960~1968)
音楽散歩(1964~1969)
ソシエテV ― 参加か不参加か(1967~1969)
トートロゴスIIIあるいは私と同語反復はいかがですか?(1969)
自伝no.1(1970)
ほとんど何もない[プレスク・リヤン]をめぐって
フランソワ・ベルナール=マーシュとの対話(1972)
春景色のための直感的小交響曲(1973~1974)
細胞75(1975)
書法についての省察(1977~1978)
自伝no.11(1979)
エリートの文化とポピュラーな文化
カトリーヌ・ミエとの対話(1979)
日記(1989~1982)
痙攣の中の音楽(1988)
夜の手帖(1991~1992)
町へ開かれたとびら(1992~1993)
こんなに色々な目標をめざした(1994)
自伝no.15(1994)
グラヴェザーノにおけるシェルヘン
クリスティアン・ザネジとの対話(1996)
トートロゴスIV(1996~1997)
引き裂かれた交響曲(1994~1998)
自伝概念の開拓(1999)
即興=マイク=アコースティック(2001)
概念の開拓(1999~2002)
ほとんど何もないのあとで(2004)
決定とともにある偶然
ピエール=イヴ・マセとダヴィッド・サンソンとの対話(2004)
モルビド・シンフォニー(2005)
カタログ
年譜
索引
テクストは年代順に並べられていて、最後に年譜もあるので、フェラーリの人生の軌跡と重ねながら読んでいくことができる。今までに公になった文章としては、自伝のシリーズと作品解説のたぐいがある。
1958年の「ヴィジョンの諸段階/生産の諸段階」は、1959年に発行された『音楽雑誌Revue musicale』の「ミュジック・コンクレート」特集に掲載されたもので、すでに後年のフェラーリの音楽への態度がはっきりと見られていて、この特集はピエール・シェフェール監修ということだが、よくシェフェールが見逃したものだと思う。
というのも、その後の8通の「ピエール・シェフェールへの手紙」で、彼らの間の思考方向の違いが明らかになっており、それもかなりフェラーリは激烈な言い方でのシェフェール批判という形で表明しているのである。これは、ある意味、非常にショッキングな資料である。フェラーリはとても直接的に「あなたのやり方は納得できない」「これでは、だれも思うように仕事ができない」などとシェフェールに言っていて、彼らの関係がかなりぎすぎすしたものであったことをうかがわせる。さらには、最後の手紙では、「フェラーリvsシェフェール」の図式が「フェラーリvs GRM」ともなっていて、フェラーリの苦渋の心中が察せられるのである。
マーシュとの噛み合わない対話とかトートロゴスのアイデアのわかりやすい解説とかも読み応えのあるものだが、何と言ってもかなめは1988年の小説「痙攣の中の音楽」だろう。主人公の作曲家が「もう作曲をしたくない」というところから物語は始まる。いや正確には「始まる」のではなく、そのテーマをめぐってこのテクストはただよっている、とでも言うべきものだろう。「痙攣」というのは、フェラーリが煩っていたという「書痙」のことを思い起こさせる(実際、ここで問題となっているのはそれだと思う)。しかし、主人公がただ作曲が嫌になったとかで話は終わらず、文学をするとかしないとか、彼をめぐる出版社や指揮者や作曲家の友人たちやら、あるいは人生の中の心象風景などが語られる。ここにも苦渋の人生がかいま見られるのだ。
また「こんなに色々な目標をめざした」は、最初は1996年に英語の雑誌『コンテンポラリー・ミュージック・レヴュー』に掲載されたというが、彼の音楽のコンセプトが非常にわかりやすく語られている。それは二つの軸をめぐっており、それは「反復あるいは循環」、そしてもう一つは「筋あるいは物語」である。フェラーリの自己分析の透徹さがよくわかる。
晩年に向けての彼の「即興」への興味のシフトもとてもわかりやすく語られる。本当に彼の早生が惜しまれる。彼がもっと長生きしていたら、どんどん新たなコンセプトの音楽をぼくたちにもたらしてくれただろうに。
しかし、全体的なこの書物『痙攣の中の音楽』の印象は、それほど明るくない。フェラーリは、ブーレーズなどと違って、一種、軽やかにポピュラー音楽などとも戯れたり、社会的なもの、女性的なもの、親密なもの、つまりは一言で言って「くだらないもの」を音楽に取り入れた「不真面目な作曲家」ととらえられがちだが、その内部世界は苦渋に満ちたメランコリックなものでもあったことをこの書物は伝えてくれるのである。
( 椎名亮輔 )