リュック・フェラーリの『プレスク・リヤン協会』(簡易日本語版)

フランス現代音楽における重要な作曲家の一人である、リュック・フェラーリ(Luc Ferrari:1929~2005)に関する情報を主に日本語でお伝えします。プレスク・リヤン協会(Association Presque Rien)は彼の友人達によってパリで設立されました。現在もその精力的な活動の下で続々と彼の新しい作品や楽曲、映画、インスタレーションなどが上演されています。 なお、より詳しい情報は、associationpresquerien@gmail.comまでお問い合わせください

【寄稿】TRANCE MUSIC FESTIVAL 2021→2022 -SENSATIONS- 公演レポート

2022/1/21(金) 豊中市立文化芸術センター 小ホール

TRANCE MUSIC FESTIVAL 2021→2022 -SENSATIONS-

ピアノとパーカッションのTRANCE – in Search of the Lost ( ) -

ピアノ:中川賢一、パーカッション:宮本妥子、エレクトロニクス:有馬純寿

 

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写真提供は中川賢一さんより

 

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  公演レポート     佐藤亜矢子・筆

 開場と同時に小ホールに足を踏み入れた途端、女性の吐息と囁き声に包まれた。リュック・フェラーリの電子音響音楽作品《不気味に美しい Unheimlich schön》(1971)が再生されていたのである。耳のそばで囁くような声や息遣いが増幅されて空間を満たす。複数の青いスポットライトが舞台上や客席内をほのかに照らしており、不気味に美しいオープニングを装飾する。

 


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配布されたパンフレットには詳細な作品解説が無い代わりに、裏表紙に記されたTo Be Continued?の小さな文字が意味深だ。プログラムを確認する。

 

・Opening

L.フェラーリ《不気味に美しい》

・Part 1

L.フェラーリ《細胞75》

〜休憩〜

・Part 2

M.カーゲル《MM51》

J.ササス《マトルズダンス》

L.フェラーリ《コレクションNo.10 “Histoire d’A”》

P.シェフェール《Bilude》

L.フェラーリ《コレクションNo.4 “Paysage”》

ヤコブTV《The Body of Your Dreams》

 

予告されていた《細胞75 Cellule 75, Force du Rythme et Cadence Forcée》(1975)に加えて《小品コレクション、あるいは36の続き ピアノとレコーダーのための Collection de petites pièces ou 36 Enfilades pour piano et magnétophone》(1985)からの2曲が加わっている。《細胞75》目当てに足を運んだフェラーリファンにとっては、良い意味で期待を裏切られたと言えよう。盛り上がり必至のヤコブTVがフィナーレに控えており、胸が高鳴る。

 

 

舞台にピアニストの中川氏と打楽器奏者の宮本氏が現れるのと同時に、犬や鳥の鳴き声、人々の話し声といった日常の音が舞台を覆い始める。第1部1曲目、リュック・フェラーリ《細胞75》は《リズムの力と強制されたカデンツ》という副題を持つ、ピアノとパーカッションとテープのための作品である。75とは作曲された年を示しており、1975年の社会的文脈を示唆するものの、76年との違いを意味するわけでもなく、単にそれがいつ構想されたかに依存するだけのことだとフェラーリはいう。

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Luc Ferrari 「Complete Works」より

ピアノによる3音のモチーフが静かに力強く響き始め、《細胞75》の大きな特徴である「反復」が提示される。ラテン・パーカッションを中心とした打楽器のリズムも、モチーフを繰り返し、そして変容してゆく。フェラーリの作品において「反復」は重要な鍵の一つだ。それは同一の事象のループではなく、常々変化し続ける流動体のようなものである。フェラーリは「月曜日は他と同じような日だが、肉屋は閉まっている」(Ferrari, 1996)ことや、毎日同じ時間に乗車する同じ地下鉄で、毎日、違う人や、昨日とは違う服を着て違った思いを巡らせている同じ人に出会うことなど、日常の繰り返しを引き合いに出しながら反復の概念を語る。ジャクリーヌ・コーも指摘するように、それは「アメリカの反復音楽の徹底的な機械的動きとは何の関係もない」(Caux, 2002)。《細胞75》で繰り返されるピアノと打楽器によるモチーフは、小さな細胞が形を変えながら分裂し増殖していくかのように、徐々に変容しては破裂へ向かい、度々リセットされては小さな反復に立ち返ることを繰り返す。じわじわと爆発へと向かってゆく展開をたびたび繰り返す楽曲構造も、現れる度に異なる姿形をもった「反復」によっている。

 

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例えば「Tautologos Ⅲ」(1969/2000)でも、個々の反復が呼応することで生じる変化が仕掛けられている。作曲者自筆譜より。

さて、このコンサートには三人の演奏家が出演している。舞台上で楽器を奏でているのは中川氏と宮本氏の二人だけだが、客席中央に設置されたコンソールとコンピュータを操る有馬氏も演奏家であり、数々の機材は彼の「楽器」のようなものだ。ミクスト音楽においては(一般的な)楽器と電子音響によるアンサンブルが、楽器同士のそれと同等に演奏の肝となる。《細胞75》では、録音されたクラヴサンの音色とピアノが融け合いやがて分離していく様や、工場内の機械が作動しているように一定の拍を刻む物音が打楽器の演奏にクロスフェードしていく様など、練達した有馬氏の巧みなオペレーションが鮮やかで美しい。舞台上では、これでもかというほどのクラスターとグリッサンドの嵐が巻き起こる。中川氏は髪を振り乱しながら拳や腕を鍵盤に叩きつけ、幾度目かの爆発を発生させる。暴れ回るピアノと対照的に、宮本氏の打楽器は熱を帯びながらも終始冷静さを維持しているようにも見える。

30分間のドラマは、無数に分裂した細胞が元の姿に戻っていくかのように、間断ない打楽器のリズムと間欠的に挿入される低音のノイズを従えながら、音域を拡張された3音のモチーフがピアノで執拗に繰り返され、終結を迎えた。

 

Cellule 75

Cellule 75

 

休憩を挟んで第2部の1曲目は、打楽器奏者がティンパニに頭を突っ込む有名なコンチェルトなど、パフォーマティブな作品がお得意のマウリシオ・カーゲル作曲《MM51》(1976)。カーゲルらしさが溢れるこの作品は、ドイツの映画監督フリードリヒ・ヴィルヘルム・ムルナウによるサイレント映画「Nosferatu(邦題:吸血鬼ノスフェラトゥ)(1922)に基づく、カーゲルによる「映画音楽」とされている。ピアノ独奏曲、ではなく、題名が示唆する通りMM(メルツェル・メトロノーム)とピアノとの共演である。舞台下手側に置かれたのは振り子式メトロノーム。ピアノ椅子の真下に設置されたペダルを中川氏が踏むと、bpm51を刻み始める。振り子のカチ、カチ、を伴って、ピアノは鈍い音で淡々と旋律を奏でてゆく。中盤で再び中川氏がペダルを操作すると、メトロノームの台座が右方向へ傾き、正確に刻まれていたbpm51は規則性を失う。さらに台座が右へと傾くと、いよいよ振り子は動くことができなくなる。ピアニストによる悪魔のような高らかな笑い声が響き渡り、赤い照明の演出もあってか、吸血鬼に襲われ身動きができなくなってしまった姿を妄想してしまう。間もなくメトロノームは平衡を取り戻し、何事もなかったかのように拍を打ち始める。ピアニストはもはや俳優であった。中川氏が息をのむと同時に照明が落ち、カーゲルの「映画」は幕を降ろした。

 

続いては、ジョン・ササス《マトルズ・ダンスMatre's Dance》(1991)。著名な打楽器奏者エヴェリン・グレニーが演奏したことから、ピアノと打楽器のレパートリーのスタンダードとなった作品である。ラテン・パーカッションを中心とした《細胞75》でのセットから、トムトムメインのセットに移った宮本氏による迫力ある打撃の連続から目が離せない。中川氏との息のあった「ダンス」は、シンコペーションと強烈なリズムが印象的だった。

 

《マトルズ・ダンス》の演奏を終えた二人を讃える拍手の中で聞こえてきたのが、第2部3曲目、フェラーリ《コレクションNo.10 “Histoire d’A”》。36の小品からなる、ピアノとテープのための《コレクション》の10番目、30秒に満たないテープのみのシーケンスである。電子音による激しいクラスターから、フェラーリお馴染み(?)、女性の喘ぐような声が二度現れる。最後はレゾナンスの効いた鋸歯状波的な電子音のワンフレーズが続きを暗示させながら「Aの物語Histoire d’A」を締め括った。

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アルテス・パブリッシング版「リュック・フェラーリ センチメンタル・テールズ」より。

と、その途端に、4曲目に突入。ピエール・シェフェール《Bilude》(1979)である。ピエール・アンリとの共作《Bidule et un》(1950)を彷彿とさせる題名を持った本作は、J.S.バッハ《プレリュードNo.2》(BWV847, c-moll)を題材としたユニークな楽曲だ。前半はピアノとテープが1拍〜2小節程度ずつ交互にバッハを演奏する。楽譜出版社のカタログの言葉を借りれば「コール・アンド・レスポンス」のように。中盤から終盤にかけてはピアノとテープが協奏する。後半、中川氏のピアノと録音されたクラヴサンがユニゾンで素早いパッセージを奏でる瞬間は緊張感が張り詰めるも、難なく乗り越えてしまうのは、中川氏と有馬氏の強力なタッグゆえだろう。テープパートは、シェフェールの初期のミュジック・コンクレートを思わせるラディカルな「物音」の録音が主である。何かを擦り合わせるような音、ハサミのような音、鍋の蓋が落とされるような音。実際にシェフェール初期作品からの引用が見られ、例えば《鉄道のエチュード Études aux chemins de fer》(1948)に登場する警笛の音に気付くだろう。

 


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一息つく間もなく、5曲目が始まる。ウェットな加工が施された鳥の声や木々が風に揺れるような音など、名の通りどこかの風景を切り取ってきたような《コレクションNo.4 “Paysage”》は、《No.10》同様にテープのみのシーケンスである。第2部3曲目からテンポ良く畳みかけるように区切りなくプログラムが続き、おそらく作品を初めて聞く人にとってはその境界すら認識できなかったのでは。

 

Paysageが消えてゆくのと入れ替わりに、ギラギラした銀色のジャケットとサングラスを身に付けた中川氏が再び舞台に登場し、腕を振り上げると、ヤコブTV《The Body of Your Dreams》(2002) オープニングの男性の掛け声が勢いよく聞こえてきた。「ブームボックス」と呼ばれる類の作品で、ダイエット商品の通販番組のナレーションをコラージュし、話し声の抑揚や強弱を楽器で演奏する。今回はピアノと打楽器で演奏されたが、サクソフォン版や弦楽四重奏版もある。ユーモラスな公式動画を思い返す暇もないほどに、言葉のイントネーションにピッタリと寄り添った見事なピアノの演奏に聞き惚れる。後半からは宮本氏が登場し、ピアノと打楽器とナレーションのコラージュによるアンサンブルでますます熱気が高まってゆく。演奏家と観客とが一緒になってお芝居を演じ切ったような、あるいはフルマラソンを完走したような、そんな爽快感とともにコンサートは終了した。

 

今回の選曲について、本企画を考案した豊中市立文化芸術センターの井上周さんに尋ねたところ、中川氏と宮本氏によるアイディアをもとに、井上さんも含めて議論しながらプログラムを組み立てたという。フェラーリの《コレクション》でシェフェールを挟む演出は、本番数日前に決まったとか。オンラインでは味わえない、まさにTRANCEするような、スリリングでエキサイティングなコンサートだった。秀逸なプログラムと素晴らしい演奏の余韻は、数日経った今でも残っている。パンフレットの裏表紙を改めて見返す。「To Be Continued?」はたしてどのような続編が見られるのか。次回の企画も楽しみに待ちたい。

 

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左がシェフェール、右がフェラーリ。Luc Ferrari 「Complete Works」より。

 

佐藤 亜矢子 (作曲家)

 

参考文献、ウェブサイト:

Ferrari, Brunhild (ed). Luc Ferrari: Complete Works, London: Ecstatic Peace Library, 2019.

Ferrari, Luc. “I was Running in So Many Different Directions,” Translated by Alexandra Boyle. In Contemporary Music Review. 15/1 (1996), pp.95-102.

コー, ジャクリーヌ. 『リュック・フェラーリとほとんど何もない インタヴュー&リュック・フェラーリのテクストと想像上の自伝』(Jacqueline Caux. Presque rien avec Luc Ferrari. Nice, 2002) 椎名亮輔訳、東京:現代思潮新社、2006 年

佐藤 亜矢子、渡邊 愛「リュック・フェラーリ《トートロゴス III》遠隔演奏の実践」、『先端芸術音楽創作学会 会報』Vol.12, No.3 (2020), pp.1–5.

Ircam B.R.A.H.M.S. Mauricio Kagel “M.M.51”  最終アクセス2022年1月23日

Jacob TV “The Body of Your Dreams”  最終アクセス2022年1月23日

John Psathas “Matre’s Dance” 最終アクセス2022年1月23日

Maison ONA Pierre Schaeffer “Bilude”  最終アクセス2022年1月23日