全国二万五千人超のリュック・フェラーリファンのみなさま、こんばんは。
昨日から始まった「特集:ブリュンヒルド・フェラーリ来日レポート」、先月開催されたブリュンヒルド・フェラーリ来日企画の模様を当日のスタッフからのルポ、いただいたメール等の様々な情報を元に編集してお届けしています。
(以下敬称略)
今日は昨日に引き続き、10月26日に東京六本木のSuperDeluxeで開催された”Heemann Ferrari O'Rourke Live 2014”コンサートの模様をお伝えしていきます。
オープニングアクトをつとめるOkkyung Leeが会場にチェロを抱えて演奏ボックスに座り、セッティングを整え始めると、周囲にはうぶ毛が逆立つような緊張感が渦を巻きはじめ、完全に主導権を握った彼女は図太さと繊細さが混じり込んだ音を解き放っては引き戻し、さらに引き絞っては放つを繰り返し、圧倒的な迫力にまるでこちら側の呼吸さえも操られているような魔術的ともいえる演奏で聴衆の度肝を抜きます。
ややゆったりめの進行とのことで一回目の休憩が入り、続いて若き日のリュック・フェラーリやパルメジャーニといったGRMの豪華メンバーが出演し、その後長らく所在不明であったフィルム「スポンタネⅣ」が日本語字幕入りで特別に上映されました。
「スポンタネⅣ」の最後、リュックとコンスタンタン・シモノヴィッチが肩を抱き合ってステージから飛び降り、足音を鳴らして場外に出ていくラストシーンに続くかのように、今度はブリュンヒルド・フェラーリが2年ぶりに自作を携えてスーパーデラックスの舞台に戻ってきました。
演奏される曲は”Stürmische Ruhe”。このドイツ語の響きと音のイメージにこだわったタイトルはクリストフ・ヒーマンとの対話の中で成長したものです。
凛とした女(ひと)、という言葉がぴったりとはまる彼女の新曲が響き始めると、今度は先程までの緊張感が完全に解きほぐされ、ふかぶかと満ち始めた音の波が床底から天井まで場内を満たしていくようです。この円熟味と安定感。今や彼女が彼女でなければ到達できなかった響きの境地にしっかりと立っている、ということを感じさせます。
続いてジム・オルークのソロ。スポットが消された照明はますます落ちていきますが、視覚が鈍くなることにもはや恐怖はありません。ただただ深い安心感に包まれた会場は、彼の音が直接脳に届けて来る音の波に身を任せるばかりです。
良い席を選んだお客様の中には脳髄の奥底に浮かび上がってはゆっくりと消えていきそうでいて、いつまでも消えていくことのない映像に、ひたすら身を任せきってしまいたくなるような心地よさを味わうことが出来た方もいらっしゃったようです。
余談になりますが、ブリュンヒルドがパリの友人に電話で「東京ではジム・オルークが私と演奏してくれるのよ」と伝えたところ、それを知った彼の奥さんが「なんですって!私が昔、彼に会いたくてパンテオンの行列の周りを何周したと思ってんのよ!どうなってんのよ日本は?どうなってんのよ東京は!」と半狂乱になってうらやましがったということですが、今、日本はジム・オルークのコンサートを身近に体験できることでは世界的に恵まれている一等地にいるということを知っておくべきでしょう。
ジム・オルーク ライブ←コンサート情報はこちらから
ここでさらに最後の休憩が告げられます。場内は飲み物を求められるお客様、外に興奮を冷ましに行き、冷たい秋の雨を知って慌ててホールに帰ってこられるお客様、身じろぎもせずにテンションをキープするお客様などさまざまで、中には今がチャンスとばかりにお買い物をされるお客様もおられました。
後半はまずブリュンヒルドの”Extérieur Jour "からスタート。
長野県茅野市で毎年開催されている「音風景の可能性」が彼女に委嘱した作品です。この作品は茅野市の方々が録音した「音」をブリュンヒルドが構成し、さらにそこにちょっぴり彼女の録音をスパイスとして添加して作曲したものです。10分あまりの短い作品ながら、茅野に対する深い敬意と愛情が感じられる作品です。
続いて” Le piano englouti ~the sunken piano~ "。
14年の間隔を置いて録音されたエーゲ海の波と、瀬戸内海の波の録音を下敷きにし、さまざまな事象を取り混ぜたこの楽曲は、その後2年間の再構成に次ぐ再構成を経て、未だにまだ構成され続ける可能性を秘めたポテンシャルの高いブリュンヒルド・フェラーリ作品です。
今回、SuperDeluxeではジムとブリュンヒルドによる共同プログラムとして演奏されました。
耳におだやかな液体が注ぎ込まれるような繊細なオープニングから波の音に入ると、聴くものはすぐにそれぞれの物語を容易に作り上げたくなる感覚に襲われます。
例えばある漂流記のひとつとして、あるいはある人魚伝説の物語として。さらに聴者だけにわかる逸話の連鎖として。
ジムが加わったことで作品はさらに色彩感を強め、淡い光線を落とした水底から風景を見上げるような錯覚さえ感じます。
連鎖は連鎖を呼びながらも激しくうねることなく、静かな粒のさざなみに還元されて静かに終わります。
そして最後にとっておきの1曲、Luc Ferrariの " Et tournent les sons dans la garrigue ”が、「そして音はガリーグをめぐる」が、とうとうBrunhild Ferrari&Jim O'Rourkeとして演奏されました。
この伝説的な曲への歴史的なコラボレーションは、逆に言えば今回のクリストフ・ヒーマンの不在がなければ演奏はおろか、構想さえされ得なかったものだと言えます。
(写真は提供いただきました)
無粋な解説すら不要とも言えるこの「そして音はガリーグをめぐる」、このガリーグとは南仏の灌木林(低木で、根元から枝分かれした低木の林)のことですが、リュック・フェラーリはこの作品を「作曲を越えたもの」そして、演奏するものの間のコミュニケーションを重視した作品として作曲しました。
つい半時間ほど前まで光を求めることも忘れていた場内はミラーボールで光の粒がしっとりと演出され、ブロンドの髪のブリュンヒルドに対置するように設置された美しい青い目を持つジムの位置はまさに太陽に対する月のよう。こうなると音場は天体的調和にまで昇華され、ここが東京の地下で、外は秋雨で濡れそぼっていて……などとは誰も思わず、さらにOkkyungから始まったこのコンサートが今や大団円を迎えようとしている……といった時間の経過さえもすっかり忘れてしまっています。
この場所を体験した誰がこの楽曲が二人のものでなかったと考えることができたでしょう。
「最後の曲ではこの美しい音響の交合を味わえるあたらしい感覚が、肉体の自分も知覚し得ない部分から盛り上がってきたかのようでした」コンサートが終わってから、こんなメールを下さる方もいらっしゃいました。
リュック・フェラーリはこの作品は「演奏者のコミュニケーションの間で進化し、息づくことになる」と述べていたと言います。
二人が互いに寄り添い、この作品を素晴らしい完成度で演奏したことは、いかに彼らが音楽を知悉しているかだけではなく、音楽への圧倒的な愛情を持つ者のみが、その到達できるであろう三昧の境地でコミュニケーションを交わすことができるのだという証左になるでしょう。
このコンサート、そしてBrunhild Ferrari&Jim O'Rourkeによって" Et tournent les sons dans la garrigue ”が演奏されたことは21世紀東京の音楽史に残る事件だったと言えます。
2時間を越えるコンサートは満場の喝采で包まれて止まず、散会後も豊かな興奮に包まれたお客様の表情をあちこちで伺うことができました。
特集は今後まだまだのんびりと続いていきます。次回は10月20日に神戸旧グッゲンハイム邸で行われたブリュンヒルド・フェラーリの日本初の単独コンサートの模様をお届けする予定です。
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