全国二万五千人超のリュック・フェラーリファンのみなさま、こんばんは。
前回の「ヘールシュピールとは何か?」【第零回:ラジオを肴に呑んでいた】 からひと月遅れました。本日も引き続き「ヘールシュピール」についてお届けしていきます。
今回からいよいよブリュンヒルド・フェラーリ女史からの聞き書きを中心としたお話になります。
「それではまず一番最初にどういう風にヘールシュピールが生まれたのかということからお話するとしましょう。
まず1925年、作曲家のクルト・ヴァイルが映画の方面からヘールシュピールについてのアイデアを発案しました。
その映画というものは基本的に純粋に音楽的なものであって、しかし何か音楽のテーマがあるというものではなく、テーマがあるものでもなく、そういう風な音楽を扱っていながら、とはいえそういうものだけでもないような、言ってみれば「『純粋映画芸術』のようなものを知った」ということから始まります。
そういった芸術の原理を、彼は当時生まれたばかりの『ラジオの芸術』に適用しようと思ったのですが、しかし当時それは非常に難しかったのです。
というのも、当時はスタジオ以外で録音することも出来なかったし、モンタージュも出来なかったのです。なのでまずスタジオで録音し、それをスタジオでそのまま直接ミックスするということくらいしか出来なかったわけです。
当時の『ラジオの芸術』というのは、基本的には『芝居を生で放送する』というようものでした、つまり、演劇の生放送という訳で、録音というようなものはほとんどありませんでした。
その後、1930年に映画監督のヴァルター・ルートマン(1887~1941)が『ウィークエンド』という音響のモンタージュを作りますが、これがヘールシュピールの歴史の第一歩となります。
当時、ヴァルター・ルートマンという監督は非常に人気があり、レニ・リーフェンシュタールに『意思の勝利』での協力を要請されたりした人物です。
展示においては1931年に作家のフレデリック・ビショップという人が、ベルリンで行われたラジオ・エキスポで、『ヘールシュピールのヘールシュピール』というタイトルで作品を提示したということが始まりになりました。
彼がそこで主張したのは、それまであった『生放送のラジオの演劇』ということではない『文学的なものだけでないラジオの演劇というものはありえるか?』ということ、むしろ音響的な要素を大事にした~音楽であったり、雑音であったりというものを重要視するような~『ラジオの演劇』というものが可能だということを提唱したのです。
その後、60年代になり実験的で新しい内容のラジオの形式というようなものが生まれてきます。そこではオリジナルな音や自然に存在するような音などを使って、実際に音響、つまり「音を録音したもの」を使って作品を作るということが始まります。
つまりそれ以降、ラジオのジャンルにおいては、言語と音楽、そして日常の騒音、雑音そういうものがドラマトゥルギー的な側面において同じ価値、同じ重要性を持って扱われるということになってきます。
さてこのようにしてとうとう新しいラジオのジャンルが生まれたのですけども、そのような言い方、『ヘールシュピール』という、このジャンルの呼び方が確定するまでは、『音のプレイ』『言葉の戯れ』『音響的なイベント』というような呼び方で呼ばれていました。
そうなったのにはドイツにおける2つのラジオ局の対立があったからです。
つまりバーデンバーデンとケルンという地域間での対立軸があって、バーデンバーデン方面ではこれを『ヘールシュピール』、ケルンでは『ラジオフォニック』いう言い方で表していたようです。またそれはアメリカにおいては今度は『ラジオアート』という呼び方で呼ばれることになりました。
その頃ドイツ以外のヨーロッパ圏、例えばフランスでも、わずかにそれに似たラジオのジャンルが生まれてきました。フランスでは、『実験クラブ』とでも呼べるものが1950年代に生まれて、そこでもヘールシュピールによく似たラジオの実験が行われたのですが、ただし基本的にはそれは文学的である『詩の朗読』というものがメインだったようです。ですから結局はドイツがそのラジオの新しいジャンルにおける最大の生産国となった訳です。
これらの作品は作曲家、作家、詩人たちによって作られました。どういう人たちがいたかというのを多少例にあげると、作家ではエルンスト・ヤング、作曲家ではリュック・フェラーリ、詩の分野ではゲルハルト・リュームという音響詩の作曲家、それにヴァルター・アドラーというラジオの人もいました。ヴァルター・アドラーという人は1977年に『ダミーヘッドから芸術のヘールシュピールへ』というやや言葉遊びの入ったタイトルでもあるその作品の中で、世界最初にステレオで録音することの出来る人の頭の形をした装置=ダミーヘッドをつくり、鼓膜にあたる部分にマイクを埋め込むことで、理想的なステレオ録音の形を提案し、それを使って作品を作りました。
現在でも例えばインタビューのためにダミーヘッドを使って録音をしている姿を見かけることがあります。非常に重要な作品としてはジョンケージが作った”ロアラトリオ”という作品がありますし、それ以外にも多くの人がヘールシュピールの作品を作っています。
ラジオが音楽の可能性を広げたことや、ヘールシュピールの生い立ちとそのダイナミックな歴史がとてもよくわかるお話でしたね。
そして現在でも、音楽の可能性がまだまだたくさん眠っているように感じました。
やや長くなりましたが第2回はこの辺で。
次回からはお待ちかね!リュック・フェラーリとヘールシュピール作品を考証していくお話になります。
【関連過去記事】
「ヘールシュピールとは何か?」【第零回:ラジオを肴に呑んでいた】 - リュック・フェラーリの『プレスク・リヤン協会』(簡易日本語版)