リュック・フェラーリの『プレスク・リヤン協会』(簡易日本語版)

フランス現代音楽における重要な作曲家の一人である、リュック・フェラーリ(Luc Ferrari:1929~2005)に関する情報を主に日本語でお伝えします。プレスク・リヤン協会(Association Presque Rien)は彼の友人達によってパリで設立されました。現在もその精力的な活動の下で続々と彼の新しい作品や楽曲、映画、インスタレーションなどが上演されています。 なお、より詳しい情報は、associationpresquerien@gmail.comまでお問い合わせください

武蔵野美術大学特別講義 映像インスタレーション『思い出の循環』"cycle des souvenirs" 採録

 

 

 

武蔵野美術大学特別講義 『思い出の循環』

 

司会  Christophe Charles (武蔵野美術大学教授)

語り手 Brunhild Ferrari    (作曲家、Luc Ferrari夫人)

聞き手 椎名亮輔       (同志社女子大学教授)

(敬称略)

 

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椎名亮輔教授(以下椎名)「皆さん、こんにちは、今ご紹介に預かりました椎名です。それで、まあ今日は翻訳の方、通訳の方もいらっしゃるので、僕は日本語で質問をして、ただ、日本語だとブリュンヒルドさんがわからないので、僕自身がフランス語に翻訳して、尋いて、そしてブリュンヒルドさんが答えたフランス語は、通訳の方が訳して下さる、というやり方でやっていったらいいのかなあと思っています。あ、もうちょっと近づいた方がいいのかな?聞こえるでしょうか?大丈夫ですか?」

 

ブリュンヒルド女史(以下女史)「アリガトウ」

 

椎名「ちょっと複雑(なやり方)ですけれども、それで、リュック・フェラーリインスタレーションの作品、今見ていただいている、今、ちょっと音を低くしていただいているんですけれども、『思い出の循環』という"cycle des souvenirs"という作品なんですが、だいたい96年ぐらいですかね」

 

女史「そうですね、1997年ぐらいだったと思います」

 

椎名「97年ぐらいの作品で、それで、それまでリュックさんは、今、クリストフ・シャルル先生がおっしゃったように、まあ、いわば電子音楽、あるいはミュージック・コンクレートの作曲家としての方が ~『方が』っていうんでしょうか?~ として、まず第一にみんな考えていた訳で、そういう作曲家がこういう映像作品も含めたインスタレーションというのをどうして手がけることを思いついたのか、どうしてこの作品を作ったのかということから、ちょっと、尋いてみたいと思います」

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女史「そうですね、(リュックは)最初は器楽、それからその後(ピエール・)シェフェールと出会ってからは、ミュージック・コンクレートの活動をしていました、で、その後は、その楽曲の中に現実音、そういった要素、社会の音などをミックスしたいという気持ちが強くなったようです。どっちにしてもリュックはひとつのことにとどまるというようなタイプではなく、むしろとどまれない人でした。作曲だけをやって満足するような人ではなかったのですね。映画の経験もありましたし、このインスタレーションに関してですね、『思い出の循環』というこのインスタレーションは非常に自伝的な要素が含まれているインスタレーションです。すべてが、とは言いませんが、ここに出ている多くの映像が自分の人生において個人的な場所、思い入れのある場所、例えば、生まれた場所であったり、自分が生活をした場所、人生の重要な局面を送った、そういった場所が出てきたり、自分が小さい頃、幼い頃に演奏をした場所であったり、晩年を過ごした場所といった、非常に個人的な、思い入れのある場所が登場しています」

 

椎名「あ、今、僕、自分の質問を日本語で言わなかったんですけど、リュック・フェラーリって人は映画ももちろん撮っていて、ただ、その映画を作るってことは、ある時期、結構集中的にやっていたけれども、その後ずっと(映画および映像を)やってるってことは無かったんだろうか、その、映像に対しての考えってのはどうだったんだろう、ってことを今、(フランス語で)尋いたんです。(通訳者に)あ、どうぞ」

 

女史「リュックは、自分が始めたことをずっと最後まで続けたい~それに執着する~ということがありませんでした。例えば器楽ですけれども、器楽もずっとやっていて、ある時イヤになって、また別のことをやりたい、と思って……、だいたい常にそういう感じでした。つまり自分が活動する上ではフレッシュな状態でありたい、という思いがあったからです」

 

椎名「そうすると、もしかしたら、『映画』じゃなくて『インスタレーション』というのが彼にとっては当時非常に新しかった、ということなんでしょうか?」

 

女史「そうです、そのためのカメラも彼は買いました。その前までは~このインスタレーションを作る前までには~カメラをいじったという経験はなかったんですけども、そこまでしてもやりたいという彼の気持ちが(この作品には)現れていると思います。リュックにとって、自分の作曲でもそうだったんですけれども、サイクルですとか、循環的であるといったことが非常に重要なテーマでした」

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椎名「その、まさにそのどうしてこの『イメージが廻っているのか』を尋こうと思ったんですけれども、先に答えられてしまったような気もしないでもないのですが、でもどういう風に撮影したか、自分が廻ってたのか、あるいはどういう仕掛けがあるのか、ちょっと尋いてみたいと思うんですけれど」

 

女史「サイクルというのは、リュックにとって、彼にとって非常に気にしていたこと、大切なことでありました。長い間、仕事において、サイクル、『廻る』ということを気にしていました。1958年か59年のことでしたけれども、急に彼は気づいたんですね、何に気づいたのかというと、毎週月曜日はいつも肉屋が閉まっている。しかし、月曜日は毎回同じかというと、そうではない。『それぞれの月曜日の姿がある』ということに気づいたんです。つまりそのイベントは繰り返されるけれども、そのイベントにおける出逢いというのは必ずしも同じものではなくて、違うものだということをはっきりと明確にしたかったんです」

(『彼自身が撮ったのですか』という質問に対して)

女史「そうです、彼自身が廻りながら、自分でカメラを持って廻りながら撮影しました。で、もう皆様お気づきの通り、撮影するスピードも違いますが、すべてが同じ方向に廻っています。で、これがひと続きの映像だということも特徴です。(撮影方法に関しては)えーっと、ちょっとはっきり覚えていないんですけれども、ある高いところ、塔のようなところに立って、そしてカメラを持って撮影するんですけれども、1回廻るごとに高さを変えていた、それが高いところから低いところへだったか低いところから高いところへだったか、今では私はもう覚えていないんですけれども、高さを変えて撮影していました」

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椎名「例えば映画のこともそうなんですけれども、インスタレーションに関しても、何かこう彼がこういうイメージについて、何かを見て刺激を受けたとか、影響を受けたとかということもあるのかどうかということも、ちょっと気になったのですが」

 

女史「それはないですね。自発的に彼が思いついたことだったと思います」

 

椎名「では、もしかしたらそれは『音楽の中の循環性』というものをイメージに適用したということなのでしょうか?」

 

女史「その通りです。音楽の経験が非常に豊かであるということ、そして自伝的な要素が多く盛り込まれていること、この二つですね。先ほど説明したように、見ていただいている映像は、彼にとってとても大切な場所を映したものです」

 

椎名「そしてこの作品の中には音響、音もあるんですが、その音とイメージは必ずしも一致はしていないですよね。どういうふうな関係になっているのか、もちろん電子音が入っていたりもするんで、それはもちろんその、こういう現場で録られた音では無いと思うんですけれど」

 

(音と映像は一緒に録ったのかという質問でしたが)

女史「一緒に録ったのではありません。音もですね、映像と同じようにいろんな場所に出かけて録音した、彼にとって意味のある重要な音、記憶です、思い出、です。(セロニアス・モンクが使われていたりもします)それから旅行に行った時に録った音ですね、それからもう既にここに出てきましたけれども駅の場所、その映像も出ています」

 

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椎名「映像と音、別々に録っているけれども、使われているということですね。そして他にもうひとつ彼はインスタレーションを作ってるんですけれども、それは『ミュージック・プロムナード』というんですが、それの方が多分、先にあった作品だと思うんですが、そのへんとの関係というのを、ちょっと尋いてみましょう」

 

女史「その前になりますね、『ミュージック・プロムナード』の方が、このインスタレーションより前、最初の時期に作られたものです。器楽演奏者のために、器楽演奏者が楽器を持って散歩をするという、その時のことを考えて(その時と同じ原理で)作られたものです」

 

椎名「この、『思い出の循環』というのも、音が、12のスピーカーで、6台のCDプレーヤーで、それがまったく同期しないように、同じパターンが、同じ組み合わせがでてこないようにずらされているんですね、そして、ずーっとリピートしているんですけれども、その『ミュージック・プロムナード』は4台のテープレコーダー、元はテープレコーダーなんですけど、今はCDバージョンがあるんですけれども、で、やっぱり(それも4台が)ずれている、ということなんで、それが同じ原理なのだということですね。だからこの『思い出の循環』はその『ミュージック・プロムナード』に映像を加えて、それからより大きくなったバージョン、いや、バージョンではないですね、同じ作品ではないので、それは違いますけれども、それでも『拡大』している感じがしますね」

 

女史「素材は違いますが、原理が同じということで、『ミュージック・プロムナード』の時には4台のレコーダーが使われていますが、この『思い出の循環』に関しては6台使われているということですね、原理は同じです。で、録音が違う、音(素材)が違います」

 

椎名「そしてこの作品、だから同じような原理を非常に拡大しているということで、それでその『概念の開拓』というシリーズが、この頃ずっと、90年代から2000年に入ってからも、フェラーリがシリーズで作ってるんですけれども、多分、この作品もそのへんのシリーズの一つなんですが、その『概念の開拓』"Exploitation des concepts"っていうんですけれども、彼がそれ以前に様々に使っていた、あるいはまあ、開発したというのかな、概念を、もう一度『根本的に捉え直す』みたいなシリーズなんですね。それで、そういう風な動きになってきたのがどうしてなのか、というのもちょっと知りたいところですね。なんか『総括』みたいな感じもする。彼の、その様々なアクティビティの中での総括のような気がするので」

 

女史「(この作品は一連の『概念の開拓』の)作品シリーズ、シリーズの作品とは違いますが、リフレクション、熟考した結果、こういったものができたということで、先ほども言いましたように、自伝的なものをある時に、もっと言葉によって明確にしなければいけないということで、『概念の開拓』が、そういった作品が始まって、それをずっと続けていた、で、『水から救われたアーカイヴ』というのも、自分のアーカイヴを開発して、開拓していったということ、彼がこれまで利用してきたことをまとめたということだと思います。つまりこれまでのことを言葉に直して自伝的なsouvenir、記憶、思い出を言葉で表現するということを急に意識して、考えを紙に書き出した、いわば宣言したようなものです。それまでリュックは『概念』という言葉を、概念ということが好きではありませんでした。『概念』という言葉は彼のボキャブラリーの中にはありませんでした。ただ、『コンセプト』という、彼自身にとってはタブーだったボキャブラリーを使うことで、自分の考えを紙に書き出して表明したんです」

 

椎名「後はそうですね、『概念の開拓』ってのが、まあやっぱりある種の総括というか、自伝的なものの発展というものなのが分かったような気がしますけれども、では実際にリュックさんの創作というのが実際、ほんとにどのように、こういう風な作品に結晶していくというのか、もちろん自伝的なものがあって、思い出というものがあるんですけれども、それをこういう風に映像とか音にするっていう(ことに)、どういう過程があるのか、尋いてみたいと思います」

 

女史「このことは時間の経過とともに彼の中に思いついたと言いますか、考えとして出てきたようです。インスピレーションが急に湧いた、それは夜、眠れない時がリュックにはあったんですけれども、その眠れない時間というのが彼にとってはとても貴重な時間でした。というのも眠れない時に色々考えて、その眠れない時に考えたことを翌朝もう、すぐにとりかかるという風な人でした」

 

椎名「面白いですね、眠れなくてもインスピレーションが生まれるのであれば、すごくいいような気もしますけども、眠れないのも辛いような気もします」

 

女史「いつも不眠症だったというわけではないですから」

 

椎名「でも、まあ、こういうイメージ、音もそうですけど、まあ、必ず経験が、まず、生(なま)の経験があって、それで、こう、『撮ってやろう』とか、音も録るんですけれども、その、『イメージを録ろう』とか思ってないとできない訳ですよね、こういう旅行に行った時のイメージとか(スクリーンを指して)この二つは旅行に行った時のイメージですよね、他のは多分違うものですが、だからそういうのをあらかじめ考えていて、その、経験している時間と、それからこういう風に作品にしている時間とが、どういう関係なのかがまたすごく気になるところですけど」

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女史「これは南仏の友人宅です、その友人というのが、友人宅には非常に素晴らしい大きな庭がありまして、そこでブドウを栽培していました。私たちは、そのブドウの収穫ですとか圧搾に参加しました。友人宅には販売用ではなかったんですが、自家消費用のワインを作る場所を持っていましたので、私たちもそのワイン作りに参加しました。昔から知っている友人で、頻繁に会っていましたし、お互いに非常に愛情を持って接していました」

 

女史「カメラをいつも旅行中に持ち出していた訳ではなくて、いつもレコーダーは持って旅行に出かけていましたけれども、唯一そのカメラを持って、個人的なイメージを撮ったのが、今見ていただいている『思い出の循環』に出てくるこの旅の映像です。個人的なものはこれだけなんですけれども、後はリュックは映画を撮っていましたので、映画の枠内で撮った、それは撮影チームとともに(旅に)出ていましたので、(その映像が)たくさんあります」

 

女史「一般的な話をすると、レコーダーに関してはいつも持ち歩いていました。まあ、メモ代わりに音を録っていたということもありますが、ただ、音を録る前にだいたい『どういう音を録りに行くか』ということは、最初のアイディアは、持って出かけて行っていたと思います」

女史「場所によっては自分がどういう音を録るのかというのが予測できる場所というのもあります、例えばリュックが子供の時に遊んでいた、ボール遊びをしていた闘牛場ですね、そういう所は、そこにいけば、どういった音が録れるかというのはあらかじめだいたい分かります。それに対して旅行で録音する音というのはなにがあるかわかりません。ですので、その、旅行中に録った、レコードしたものというのは、音というのは、ある意味『旅日記』のようなものになっていたんです」

 

椎名「うーん」

 

女史「場所に行く前に、『こういう音が録れるだろう』ということを想像して場所にでかけて、実際にその自分が想定した通りの音が録れることもあれば、逆に予期していない音、サプライズがあることもありました」

 

椎名「なるほど、やっぱり常に(機材を)持っていて、その場その場で録っていくという、そしてそれを後で音楽にするということなんでしょうけど、こういうことを尋いたのは、以前にリュック・フェラーリがしゃべっているのを、話の中で、『自分が転んだ時に頭をぶつけた時の音』っていうのがあってですね、それで『これがそれです』って聴かされたことがあったんです。そんなことはおかしいですよね、あの、転んで頭を打った時には録音してないと思うので。だからそのあたりはまあもちろん後から作ったということにもなるんでしょうけど、ちょっと尋いてみたいと思いますが」

 

女史「『頭を打った時の音』っていうのはもちろん本人は録音することができません、録ることができませんが、どういう音になるのかなあというのをリュックはすごく想像して、音を作ったんだと思うんですが、本人は自分が頭を打った時の音っていうのは当然聞こえてますけども、(その音は)内側から聞こえているのであって、外側から聞こえるとどういう音になるのかというのはそれはまた別物なので、想像できる限り(の音を)想像して、『頭を打った時の音』というのを作ったんです」

 

女史「それは別の作品にもつながります。つまり自分が経験したことがない、そういう状況の音を想像して作品をつくる、『電気ショックを受けた時に自分の鼓動がどうなるか』ということを想像して作った作品が『不整脈』という作品です」

 

椎名「(その作品は)不整脈の発作で彼が入院をして電気ショックを受けたらしいんですよね。でも電気ショックを(受けたのを)彼は覚えてない、(自分では)聴いてないんだけれども、想像して作ったという、だからやっぱり想像力、想像してそういう音を作るということ、そしてそれで物語になっていく。音で『転んだという物語』があったり、『電気ショックを受けたという物語』があったり、その物語、セリーみたいなあたりのものもちょっと、リュック・フェラーリ、やっぱりその『逸話的音楽』というものが、彼が開発というのか、作って、それも一種のトレードマークのようになっているので、そのあたりのこともちょっと尋いてみたいと思うんですが」

 

女史「『想像上の逸話』という感じですね、『(想像上の)逸話的音楽』です」

女史「彼が、画家が自分が描くものを、ええ、発明といいますか、想像するように、リュックもそういう風に想像して、(逸話的音楽を)作ったんだと思います」

女史「その、リュックの作品に、自伝的な要素が多いのは、必ずしも『自分語り』のためではないんです。ちょっと、どういう表現をしたら皆さんにお伝えできるのかちょっと分からないのですが、自分が経験していること、出来事を『外側から伝える』ということを表現したいがために、自伝的な要素がたくさん入っています。もう少しうまい言い方を思いついたら、また後でお伝えしたいと思いますが、『自分の経験したことを外側から表現していくということ』がしたいがために自伝的な要素がたくさん入っています」

 

椎名「自分の経験を元にして、作品を作っていく、まあ実際、創作家というのはそれ以外、実はありえないという訳ですよね、あるいはまあ、イマジネーションというのもありますけども、それも自分の経験といえば経験なので。で、リュックさんと話をした時に、自分の経験というのが元になって音楽を作ったり、まあ創作をするんだけれども結局それは、『こういう世界の見方を私はしているし、こういう風に見てみてもいいんじゃないかというのをプロポーズしている』っていう話を聴いて、ああ、その通りなんだろうな、っと思ったことがあるんですが、そのことなのかどうか、ちょっと尋いてみましょう」

 

女史「その通りです。彼は非常に観察に優れていて、自然ですとか社会を常に観察していて、自然とか社会といったものは(彼にとって)常に重要なテーマであり、作品にもそれが表れています」

 

女史「リュックは、ある見方というのを、観客、みなさんに提示はしますけれども、観客にも同じように見て欲しいという風に、感覚が別の、観客が別の見方をすることを禁じている訳ではありません。逸話としての音を提案して、プロポーズして、その、逸話としての音を受け取った観客は自分なりのイメージ、自分なりの映画、話をつくることになるんです。で、逸話そのものが重要なのかどうかということを尋かれたときに、(通訳者:あ、すいません、ここらへんがちょっと)」

 

椎名(ブリュンヒルド女史の発言を通訳)「ああ、『逸話』っていうのが、要するに『たいしたことのない話』という元々の意味がありますよね、で、まあ彼女、ブリュンヒルドさんもだからその、物語っていうのが、非常に一貫した大きな物語ではなくて、小さなブリーブっていう話をしてましたけど、バラバラな、お話になるようなならないようなものっていう作品で、だからその、逸話っていう、アネクドートっていうのもリュック・フェラーリ自身が、まあアイロニーを持って、そういう風に名前をつけていた、要するにまったく真剣に何か主張をするために『逸話的』だっていう風に言ってたんじゃあなくて、まあアイロニカルに、まあ、こんな、こんな、こんなもんなんだよ、っていうようなイメージで、まあ『自分の逸話』的っていう風に語っていた、っていう話ですね、で、その話の続きといえば続きなんですけど、物語を物語ってしまうと、全部最初から最後までガチッと物語ってしまうと、逆につまらないということになる、と思うんですよね、で、聴衆にこう想像をさせるような、~曖昧な、というんでしょうか~ その、お話の、なんというんだろう、『かけら』と言ったらいいでしょうか、かけらをちりばめていて、それでそれは聴衆が自分の物語を作るっていうやり方でその音楽を作っている訳で、で、ただ、だからそれはどんなにやっても、どういう風にやってもそういう風にうまく行く訳ではないので、その辺りのなんていうんでしょうね、さじ加減っていうのか、作り方というのか、まあもしかしたらそれはさっきのようにインスピレーションだということになるのかもしれませんけど、でもまあリュックさんという人の、なんていうんだろう、『人となり』みたいなものも関係しているかと思うので、ちょっと尋いてみようと思いますが」

 

女史「作品によります、物語を全部物語ってしまっているかどうかというのは作品によりますけれども、まあもちろんリュックは劇作家ではなかったので、物語をつくるということは~演劇作品をいくつか書いていますが~ミュージカル等、その女優が出てきたり、ピアニストが出てきたりする作品、舞台とかいうのの作品は書いています。後、本当に物語として語っている作品には、『センチメンタルテールズ』ですね、これは二カ国語、ドイツ語とフランス語のラジオドラマなんですが、各エピソードが二十五分から三十分位の長さで、リュックが、その自分の創作、クリエーションですとか、楽曲をつくるにあたってどういうことが起きたかということを語るという、そういう作品はあります」

 

椎名「そうですね、まあ演劇作品のようなものもあると彼女が先に言ったのは、まあ、ピアニストと語り手と歌手と出てくると言ったのは、"Journal intime" というのは『日記』と訳すんですかね、ええ、『日記の断片』というのも(別の作品に)あるんですけど、『日記』という作品、かなり前の、昔の作品です、それで今お話にあった『センチメンタルテールズ』というのはラジオ、ドイツのラジオ番組として放送されています、これもシリーズ、~シリーズと言っていいのか~ 11あるものですね、で、それが今度CDとなって出版されるようですけど、で、それはラジオ番組なので、え、まあ『なので』ってこともないですけど、三十分くらいの間にそういうお話が語られるということのようですが、僕はまだそれは聴いてないのでわからないのですが、で、話がちょっと、なんか二カ所でそのリュックさんがどういう風にそううまく、なんていうんでしょうね、作曲というのか、そういう逸話的なものを使ってまあセンスよく、といったらいいでしょうかね、それがそのセンスがどう、リュックさんの『人となり』とに関わっているのか、話が質問のところにまで行かなかったので、で、それもしたいんですけれど、今その、せっかく"contes sentimentaux"ですね、『センチメンタルテールズ』はブリュンヒルドさんとリュックさんのまあいわば共作なので、その共同作業がどういう形なのかということを尋きたいと思うんですが、まずそのリュックさんがどういう人なのか、っていうことをちょっと尋いてみたいのですね」

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女史「リュックは生まれつきとてもエレガントな人で、自分が知ってるそのエレガントな表現方法以外の方法は取れないという、本当にそれは彼の生来の性格なんです。生まれつき(の性格)です」

女史「彼にとっては(彼の『人となりがエレガントである』ということは)ごく自然なことで、そのことについて私はリュックと話をしたことが一度もありません」

女史「共同制作に関してなんですが、リュックは私の声、ヴォイスを必要としていました、それから翻訳、(仕事の)補佐をする、手伝いをするということでも私のことを必要としていました。まあそういった背景もあってだんだんと私もその緊密な関係の中で彼の作品造りに関わるようになって、ラジオ番組に関しては二カ国語の放送であったということで(注:Brunhild女史は現在フランス人だが元々はドイツ出身)一緒に話し合いをして、一緒に考えて、一緒に作り上げました」

 

(音楽に関しても彼女はクリエイターとして参加したんですか?という質問に対して)

女史「ドイツのラジオ局ではクリエイターとして参加できたんですが、同じく作品作りに参加したラジオ・フランス局では満足できませんでした、というのもラジオ・フランスでは必ず私以外に監督という人がいて、監督がやはり主導権を握っていたというか、やはりその監督が方向性を決めていたということで、私は個人的には最初から最後までテープを触りながら素材を作り上げるという手法を好んでいましたので、ラジオ・フランスでの(彼女のした)仕事には満足していません」

 

(共同制作に関してはリュックとの役割分担はどうなっていたのかという質問に対して)

女史「音楽に関してはリュックの音楽に私が手を入れるということはありませんでした。リュックが私の声を必要とした時にそのお手伝いをするということはありましたけれども、彼の音楽、ミュージックに関してどうこう私が手出しをするということはありませんでした。もちろん私の声が、録音された声が音楽に乗るということはありましたけれども、私がその(彼の)楽譜ですとか、コンセプト、概念に手を入れる、触るということはありませんでした」

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椎名「もうそろそろ時間がいいかなと思いますが、えーもし……」

 

クリストフ・シャルル教授(以下クリストフ)

「そうですね、もし質問など、尋きたいことがあればせっかくなので……」

 

質問者男1「すてきな講演どうもありがとうございました。リュックさんが『概念の開拓』にすごく力を入れていたということに関して、『音をメモ代わりに使っていた』ということを翻訳でお聞きしたので、彼は文字に対してなんといいますか、嫌悪感ではないんですけれども、割と距離を置いていたように感じます。その時に『映像と音楽、言葉』という関係性において、彼はどういうものを考えていたのか知りたいのですけど」

 

女史「リュックは、特に若い時に詩を書いたりテキストを書いたり、本、小説まで書きました。その小説は、ちゃんと最後まで手続きを踏まなかったといいますか、書いたのはいいんですけれども、出版するまでには至りませんでした。手書きのものはあまり好きではなかったんですけれども、多くのことを書いてきました。旅行中なんですけれども、旅行中、やはり自分が目にする自然だとか、そういったものに眼をしっかり見開いてみたいとか、それからまあ言うことがあってレコーダーを持っていたのかもしれません。それから、ペンや紙を持ってしまうと自分がキャッチしたいという音、音声を得られないのではないかということで、そういう(メモ代わりに録音という)風な手段を取ったのではないかと思います」

 

質問者男1「ありがとうございました」

女史「merci」

 

 

質問者女1「ありがとうございます、自伝的な要素をしばしば作品に取り込んでいるリュックさんなんですけれど、自伝というのも、よく嘘をついていらっしゃると思うんですね、要するに、生まれた年ですとか、生まれた土地を、本当は1929年にパリでお生まれになってますけれども、違う年に生まれたとか、違う土地に場所で生まれたってことを『これがフィクションですよ』ということではなくて、自分の略歴として、公式におっしゃっているという、ちょっと面白い側面があると思うんですけれども、そういうフィクションとドキュメンタリーの境目のような自伝、自伝だけれども自伝ではない、そういった側面というのもこの『思い出の循環』という作品に反映されているのでしょうか?(これは)自伝的な思い出というものがたくさん出てきている作品なんですが、私もこう具体的なものをこのようにパッと見せられると、『彼のことだからきっとどこかに嘘があるんだろうな』とか、そういう~まあ悪い意味ではなくて、面白がってそう見てしまうんですけれども~そういったところはいかがでしょうか?」

 

女史「イメージの方に関しては嘘はありません、現実的なものです。ただ、その、何を選ぶかということですね、動きをどれにするかということは非常に考えられたもので、特にミステリー、謎というのは、イメージに関してはありませんが、音に関してはこれはすべての音楽と同じようにそういったフィクションな部分はあります」

 

質問者女1「ありがとうございました」

 

 

クリストフ・シャルル「他はありませんか、ここまででいいですか?」

椎名「結構、長かったですね」

クリストフ「では、ここでしめましょうか」

 

 

クリストフ「本当にありがとうございました」

 

女史「merci beaucoup」

 

椎名「ありがとうございました」

 

クリストフ「他になにか宣伝とか……」

 

椎名「東京では明日、(東京)芸大の千住校舎というところでまた、ブリュンヒルドさんのヘールシュピールについての講義があります。そして後、15日に京都の同志社大学の寒梅館というところで、リュック・フェラーリ関係の映画の上映が何本かあります。同志社大学などのホームページを見ていただければ載っていると思います、そして11月の17日の土曜日には神戸のジーベックホールでヘールシュピールの実際の作品の演奏、ブリュンヒルドさんも参加なさいますが、その作品の演奏会があります。これは『神戸ジーベックホール』で検索をしていただきますと出てくると思います、関西にお出になる方があれば、ぜひいらしていただければと思います」

 

クリストフ「どうもありがとうございます。今回これだけの展示を実現するのは、結構苦労した訳じゃないですけれど、やっぱりこの12個のスピーカーを、上、後ろとかにあちこち設置して、それで音の空間を体験して……非常にあの……、まあCDは出てるんですけれど、『cycle des souvenir』というステレオ版はありますけれど、この立体的な空間、『音響空間』を作り上げて行くと、だんだんその中身、~なんていうのかな、いろんなディテール~、に気づくし、非常にその『バランス』ですね、音の強弱、音の空間性をよりよく把握する、というか意識していく、そのプロセスが非常に楽しかったです、だから今回武蔵美で、こんなインスタレーションができて、椎名先生のおかげでもあるんですけれども、本当にありがとうございました」

 

椎名「これがだから、これだけ完全な形での日本の初演ということになりますね、ですから皆さん貴重な体験をなさった訳ですね、『初演に立ち会った』ということです」

 

クリストフ「じゃあこれで終わりたいと思います、ありがとうございました」(拍手)

 

クリストフ「あ、一応今日までという予定だったんですけれども、明日もとってあるんですよ、この会場は。だから、明日の夕方までそのまま映像流して、一応明日の午後6時まではそのままにしときます。80分のCDを6枚、で、どんどんズレていく訳ですね、だから、『組み合わせがどんどん変わっていく』という、それをぜひまた体験していただければと思います」

 

(2012年11月12日 武蔵野美術大学 12号館1階ビデオアトリエにおいて)

 

 

(掲載を快諾いただいた、Christophe Charles様、Brunhild Ferrari様、椎名亮輔様に心より御礼申し上げます)