全国2万5千人のリュック・フェラーリファンのみなさま、こんばんは。
今日は「フェラーリ地帯(ライン)」の第5弾をお届けします。
【お知らせ】
この秋、一番のおススメCDは「センチメンタル・テールズ」です。
今回とりあげるアンリ・フーレス氏も解説を書いています。
この「フェラーリ地帯」はリュック・フェラーリの友人や知人、ご縁のある方にスポットをあて、順不同にじんわりと紹介していく企画です。
もちろんリュック・フェラーリの「関係者」と一口に言っても老若男女、世界各国に大変な数の方がいらっしゃる訳で、ここに紹介する人物以外にも重要であったり、みなさまがその関係を知りたいと思う方もいらっしゃるとは思うのですが、あくまでランダムに紹介していきますのでご了承ください。
また、この企画はリュック・フェラーリと彼らの関係を紹介することで、様々な観点からリュック・フェラーリについて興味を持っていただきたくのが目的ですので、専門的分野の方から見れば至らない点も多々あるとは思いますが、その点もまたご了承いただけたらと思います。
また、もしこの「フェラーリ地帯」や当ブログにご寄稿いただける方がいらっしゃいましたら、ぜひ当準備室メールアドレスまでご連絡いただければと思います。
前置きが長くなりましたが、本日の「セルジュ・ゲンズブールがパクったリュック・フェラーリの楽曲12の秘密」「フェラーリ地帯(ライン)」に登場するのは作曲家のHenry Fourès(アンリ・フーレス)氏です。
アンリ・フーレス氏(左)とダヴィッド・ジス氏(右)(以下敬称略)
彼の経歴についてはウィキペディア(仏版)にも紹介されています。
アンリ・フーレスとリュック・フェラーリの「2度目の出会い」は1976年の夏にまでさかのぼります。
初夏のある晴れた日の昼下がり、リュック・フェラーリとブリュンヒルド夫人は友人宅の庭で大きなフランスの地図を広げてバカンスの計画を練っていました。
行き先を決めるため、彼は庭で水まきをしている友人に
「ねぇ、ちょっとこっちに向けて水をピュッとかけてくれない?」と言いました。
「ほらよ」友人のホースから飛んできた水は地図のちょうどオード県の場所にかかりました。
「よーし、じゃあこの夏はここら辺に行くことにしようか」
そんな偶然に任せて、2人はオード県に向かい、トゥシャンという、人口が850人くらいしかいない、小さな村に滞在しました。(トゥシャンという村はワインの産地でもあります)
さて、滞在初日、その村のホテルの掲示板に貼られている小さなポスターがリュック・フェラーリの目にとまりました。
ポスターには
【現代音楽の夕べ;ワイン醸造所にて開演!日時……】
と書いてありました。
夫妻はあまりの偶然に顔を見合わせました。
この人口850人ほどの小さな村で行われるという「現代音楽の催し」というものが、一体どんなものなのかと好奇心をくすぐられた二人は、ちょうどその夜に開催されるという醸造所でのコンサートに行ってみることにしました。
会場は予想通りさほど混雑もしていませんでしたが、驚いたことに、椅子が並んでいるその会場には、フェラーリ夫妻が座るための椅子はひとつもありませんでした。
というのも醸造所には椅子がないので、村人達は当然のように自宅から自分たちの椅子を持ち込んでやって来ていたのです。
椅子のない二人が仕方なく会場の隅の方で立っていると、さっきから受付で夫妻を何度もチラチラと見ていた大きな若い男が近寄ってきて、モジモジしながらもよく通る声でこう尋ねました。
「あの、すいません、人違いでしたら大変申し訳ないのですが、ひょっとして……いや、あの……あなたはひょっとして、リュック・フェラーリさんですか?」
「ええ、そうですが……」
「やっぱり!」彼は素頓狂な声をあげました。
「おお、一体全体、リュック・フェラーリがこんなところで一体何をしてるんですか!」
「いや、夏のバカンスで……」
「信じられない、まさにこれは……」
このちょっと大きな若い男性こそ、その夜演奏をすることになっていたアンサンブルの一人、アンリ・フーレスでした。
彼はその数年前にパリで開かれたリュック・フェラーリの特別講義に学生として参加していましたが、大きな会場での講義だったために、もちろんリュックは彼のことを覚えていませんでした。
コンサートの後、みんなはテーブルを囲んでこの奇妙な縁を祝って乾杯し、そしてすっかり打ち解けました。
この年のバカンスでフェラーリ夫妻はこの村についての視聴覚スペクタクル作品「トゥシャン、村11350番」の構想を始め、翌年から再びこの地を訪れてこの作品および「シャンタル、あるいは或る村の女性の肖像」を制作することになります。
【写真は「シャンタル」製作時のリュック・フェラーリ&ブリュンヒルド・フェラーリ】
「シャンタル」はこちら、クリーム色でシンプルなジャケットできれいですね。フランス語がよくわかる方は聴いてみるといいかも。
ところでこの「11350番」というナンバーはデタラメにつけられたものでも、制作ナンバーでもなく、実はこのトゥシャン村の郵便番号で、この村に対するリュック・フェラーリの敬意を示すものです。
フェラーリ夫妻は”Le Vivant Quartet”(Alain Joule、 Richard Breton、Henry Fourès、Jules Calmettes)と共に1977年、"Et tournent les sons dans la garrigue" および"Ce qu'à vu le Cers"を制作しました。
この作品はCD化もされています。
Le Vivant Quartet/Ferrari, Foures avec le Vivant Quartet electronique - TOWER RECORDS ONLINE
この際の写真があったので転載しておきますね。
La Muse en Circuit (回路の詩神協会) を設立したリュック・フェラーリは間もなくアンリ・フーレスを協会に招き入れ、アンリ・フーレスはフェラーリの退任後1994年から数年間、会長の職にありました。退任後は2009年までリヨン国立高等音楽院で仕事をしています。
彼は作曲家であると同時に中世史(音楽)を専門とする歴史学者でもあり、前回のLa Muse en Circuit (回路の詩神協会)の会長の交代式では退任するダヴィッド・ジスに対し完全に中世式の作法に則った見事な送辞を述べ、大いに会場を沸かせました。
次回の「フェラーリ地帯(ライン)」をお楽しみに!
【関連過去記事】
新企画「リュック・フェラーリ地帯」(第一回:palislike) - リュック・フェラーリの『プレスク・リヤン協会』(簡易日本語版)
「フェラーリ地帯(ライン)」(第2回;Jacques Brissot) - リュック・フェラーリの『プレスク・リヤン協会』(簡易日本語版)
「フェラーリ地帯(ライン)」(第3回;Michel Maurer) - リュック・フェラーリの『プレスク・リヤン協会』(簡易日本語版)
「フェラーリ地帯(ライン)」(第4回;La Muse en Circuit (回路の詩神協会) ) - リュック・フェラーリの『プレスク・リヤン協会』(簡易日本語版)
La Muse en Circuit(回路の詩神協会)のディレクター交代式 - リュック・フェラーリの『プレスク・リヤン協会』(簡易日本語版)