全国二万五千人超のリュック・フェラーリファンのみなさま、こんばんは。
5月21日、京都の同志社大学寒梅館クローバーホールでリュック・フェラーリ生誕90周年記念企画として、リュック・フェラーリ、ジェラール・パトリス制作による「大いなるリハーサル」より、『シュトックハウゼンの瞬間(モメンテ)』が上映されます。
この作品の魅力について、今回開催されている「特別講座:挑戦と継続〜ヨーロッパの音楽教育が作り上げる力〜(日・EUフレンドシップウィーク)」で講演していただいた椎名亮輔さん(同志社女子大学教授、プレスク・リヤン協会日本支局長)よりご寄稿いただきました。
この特別講座、そして参考上映は5月7日より始まっていて、次回5月21日(火曜)が最終回となります。5月21日は18時半より、ヒップホップやストリートカルチャーの分野を中心とした研究・教育に携わってきた荏開津 広さんに講演していただきます。
概要については以下の記事とフライヤーをご覧ください。
association-presquerien.hatenablog.com
また、6月21日にこの「リュック・フェラーリ生誕90年企画×シュトックハウゼン関連企画」として、当ブログ読者の方には「リュック・フェラーリ センチメンタル・テールズ──あるいは自伝としての芸術」」でおなじみのアルテスパブリッシングから出版された「シュトックハウゼンのすべて 」の著者、松平敬さんによる「レクチャートーク 『大阪万博のシュトックハウゼン』+『シュピラール』実演」が、京都Media Shopで開催されます。詳細は以下リンクをぜひご覧ください。
大いなるリハーサルシリーズ『シュトックハウゼンのモメンテ』(1966年)
若きシュトックハウゼンが自作を語り、自らの来し方を語り、さらには現在進行中の恋愛問題などについてまで語りながら、歩く、ひたすら歩く。当時彼は37歳。すでに管弦楽曲《グルッペン》や室内楽曲《ツァイトマーセ》、《ピアノ曲集》や電子音楽《少年の歌》などを発表し、新進気鋭の前衛作曲家としての評価は確立しつつあった。
この《モメンテ》は映画撮影の4年前、1962年から書き始められ、1969年に決定版が完成されるまで「ワーク・イン・プログレス」として、少しずつ書き進められながら、演奏もされて来た作品だ。映画中でシュトックハウゼン本人が話しているように「演奏に一晩中かかる」ような膨大な作品になるはずだった。それだけ彼には思い入れがある作品なのだ。これは一人の少女、マリー・バウアマイスターへの恋愛感情を音楽にしたものだからだ。彼はしかし、すでに1951年にはドリス・アンドレと結婚をしており、マリーとの関係は言わば不倫関係であった。このような複雑な人間関係を彼は音楽に結晶化する。彼がこの作品の形式要素として説明する三つの「モメンテ」、音色を表す「Kモメンテ」、旋律を表す「Mモメンテ」、持続を表す「Dモメンテ」についても、実はその裏に「三角関係」の当事者達の頭文字、カールハインツ・シュトックハウゼンのK、マリーのM、ドリスのDが隠されているのだと言う。そして作品に使用されたテクストは、男女間の恋愛を美しく歌い上げた『ソロモンの雅歌』と共に、何とマリーからシュトックハウゼンが受け取ったラブレターからの引用である。
もちろん、恋愛問題以外にも、シュトックハウゼン自身が彼の生い立ちを語っている部分も見所だし、彼自身の指揮による《モメンテ》リハーサルも素晴らしい。彼がこの作品のみならず、音楽全般に何を求めていたのか、それによって何を表現しようとしていたのかを垣間見る事ができるのだ。
《モメンテ》初版の初演は1962年だったが、ここで撮影されているのは西独放送のオケと合唱団、合唱指揮がヘルベルト・シェルヌス、オルガンがアロイスとアルフォンスのコンタルスキー兄弟、アメリカのソプラノ歌手マーティナ・アーロヨの演奏での1965年版のものだ。ちなみにWERGOレーベルのLP版はこの演奏である(Wergo WER60024)。
さらにシュトックハウゼンの1966年(映画撮影の年)の電子音響作品《ヒュムネン》の中にはリュック・フェラーリの影響が見られる部分があると言われているのも、実に興味深い。
*参考文献:松平敬『シュトックハウゼンのすべて』(2019年、アルテス・パブリッシング)
【参考過去記事】
【この機会、逃せない!】ついにフェラーリの映画「大いなるリハーサル」を見るチャンスが5月、京都で! - リュック・フェラーリの『プレスク・リヤン協会』(簡易日本語版)
【寄稿】リュック・フェラーリと「大いなるリハーサル」(メシアン編、シェルヘン編) - リュック・フェラーリの『プレスク・リヤン協会』(簡易日本語版)