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リュック・フェラーリの『プレスク・リヤン協会』(簡易日本語版)

フランス現代音楽における重要な作曲家の一人である、リュック・フェラーリ(Luc Ferrari:1929~2005)に関する情報を主に日本語でお伝えします。プレスク・リヤン協会(Association Presque Rien)は彼の友人達によってパリで設立されました。現在もその精力的な活動の下で続々と彼の新しい作品や楽曲、映画、インスタレーションなどが上演されています。 なお、より詳しい情報は、associationpresquerien@gmail.comまでお問い合わせください

ラジオ・ドラマからヘールシュピールへ4(逸話的音楽を通って)

《異型接合体》をフェラーリは「逸話的音楽」と名付けた。つまりそれは、何かを物語っているのだが、それは「アネクドート」、「逸話」なのであって、大した話ではないのだ。日本語で「逸話」の「逸」は、「逸脱」の「逸」だと知ったら、リュックは手を叩いて喜んだだろう。シェフェールの正統派ミュージック・コンクレートから逸脱して、フェラーリは逸話を語るのだ。《ほとんど何もない》シリーズは、その典型的なものだが、今回のコンサートでも上演が予定されているものに、まさしくその名も「逸話的なるもの」という《レ・ザネクドティック》がある。これは、2001年6月から翌年の7月まで、フェラーリが訪れたさまざまな土地で録音された音響からできている。それは、マドリッドであり、トスカナであり、南仏エーズであり、アメリカのテキサスとシカゴ、最後は再び南仏のマルセイユ近郊である。それぞれの土地に固有の音響を用い、それぞれの場面と関係の深い人々の会話を交え、あいまあいまにかすかな音楽が混ざる。以前にも、フェラーリとケージの音楽感が、「写真」というキーワードを介して繋がっていることを述べたが、まさしくここにあるのは、いわば音による「写真」。その土地の名前を誰かが語るのも、それを証している。「トーロス広場」、「トスカナの空」、「スーペルストラーダ」、「海の穴」、「ローブの入り口」などなどの言葉がはっきりと聞こえる。しかし、それは記念写真のようにはっきりとしたものではない。なぜなら、短い言葉は繰り返され、意味を失い、さまざまな雑音もその起源を徐々に失い、音楽となって行く。そう、まさしく「逸話」なのだが、「音楽」なのだ。(続く)(椎名亮輔)