リュック・フェラーリの『プレスク・リヤン協会』(簡易日本語版)

フランス現代音楽における重要な作曲家の一人である、リュック・フェラーリ(Luc Ferrari:1929~2005)に関する情報を主に日本語でお伝えします。プレスク・リヤン協会(Association Presque Rien)は彼の友人達によってパリで設立されました。現在もその精力的な活動の下で続々と彼の新しい作品や楽曲、映画、インスタレーションなどが上演されています。 なお、より詳しい情報は、associationpresquerien@gmail.comまでお問い合わせください

時代を視た男、野田茂則さんインタビュー

全国二万五千人超のリュック・フェラーリファンのみなさま、こんばんは。 2019年が明けて間もなく、イギリスではフェラーリ生誕90周年イベントの開催で沸くいっぽうで、日本のフェラーリファンにはセンチメンタルな出来事がありましたね。そう、リュック・フェラーリが東京で唯一「ライブ」をやった伝説の場所・六本木SuperDeluxeが、先月惜しまれつつも閉店したのです。 

 

SuperDeluxeは特異なライブスペースです。バンド演奏、DJ、ライブペインティング、演劇、ジャズ、電子音楽、現代音楽、フリーインプロヴィゼーション、作品展示…とにかくジャンル不問で面白いイベントを次から次へと繰り出す、「ほとんどなんでもあり」の文化発信基地。この基地で目撃した数々の刺激的なイベントに影響を受けて育った、というアーティストも多いのではないでしょうか。

本日はそんなSuperDeluxe(以下スーデラ)の歴史に敬意を表したインタビュー企画をお届けします。  

 

お話を伺ったのはキャロサンプの主宰・野田茂則さん。キャロサンプはコンサートの企画・制作・CDのプロデュースなどを手がける個人事務所です。野田さんはコンサートオーガナイザー、レーベルオーナー、ツアーマネージャー、舞台監督などとして、なんと30年以上活動する大ベテランなのです。 

 

野田さんはリュック・フェラーリのスーデラ公演の仕掛け人。大友良英氏との共演を実現させ、その名演「Les archives sauvées des eaux(水から救われたアーカイブ)」をCDリリースした張本人でもあります。東京公演の後の名古屋・関西ツアーにも同行されました(野田さんのきめ細かいアテンドぶりにフェラーリ夫妻も大満足だった、とはブリュンヒルド夫人ご本人の談)。  

 

フェラーリ夫妻を虜にしたアテンド術の秘密や、オフの時間に垣間見たフェラーリの素顔など、聞きたいことだらけで頭がホカホカになりそうな筆者を、ご自宅で気さくに迎えてくださった野田さん。普段インタビューを受けることはまずないとのことで、貴重な機会をいただきました。お忙しい中ありがとうございました。 それではどうぞ!  

 

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リュック・フェラーリと野田さん、仲良くツーショット。お揃いの緑のサングラスはもともと野田さんが掛けていたのをフェラーリが気に入ったため、同じものを野田さんがプレゼントしたのだそう。「阿佐ヶ谷のパール商店街で500円で買いました(笑)」

 

インタビュー目次

 

 

 

ー この道30年余 ー

 

ーーーーそもそも野田さんが企画・制作を始めたのはいつ頃からですか?

 

「個人でライブの企画を始めたのは83年くらいからです。学校を出て、一時期ライブハウスで働いたりもしたんですが、知人の紹介で池袋西武百貨店の中にあったスタジオ200というスペースで裏方の仕事を始めたんですね。そこでオルタナティヴなアーティストにたくさん出会いました。ジョン・ゾーンエリオット・シャープネッド・ローゼンバーグらと初めて会ったのもスタジオ200です。 」

 

ーーーースタジオ200は1979年から91年まで、池袋の西武百貨店の8Fにあったイベントスペースです。筆者の世代ではアール・ヴィヴァンとか西武美術館とかは既に歴史上のワードになっていて、「デパートがコアな文化事業をやっていたすごい時代があったんだ」とバブル崩壊後しか知らない身からすると夢のような感覚なのですが、そんな西武百貨店が設けた伝説のスタジオ200に勤めていらっしゃったとは……。
(※当時のスタジオ200については、久野敦子氏のインタビュー記事に詳述されています)

 

「ちょうど2年間いました。西武じゃない別の会社からの出向だったんですが。なんでもやりましたよ。音響や照明、舞台の設営、映画上映もあったので映写技師もやりましたし、席が可動式だったのでその設置とかも。あとは並行して百貨店の売場で映像を投影する仕事や、当時デパートの屋上なんかでアイドルが営業やってたでしょ? 南野陽子さんがデビューしたとき、僕がPAやったんですよ(笑)。『ばってん荒川ショー』とか、THE ALFEEボン・ジョヴィのファンの集いなどのPAをやる一方で、当時は売場で吉村弘さんやYAS-KAZさんが来て演奏することもありました。いわばそういう時代でした。」

 

「そんなわけでスタジオ200を通じて、海外からのアーティストなどとも交流を持つようになりました。サム・ベネットフレッド・フリスなど、当時のNYのダウンタウンのミュージシャンたちもスタジオ200で知り合った人が多いですね。25歳でそこを辞めて、勤めていた頃からこっそりとインディペンデントでライブの企画をしていたんですが、1988年からその企画主体の名称をキャロサンプとしました。」 

 

ーーーーキャロサンプを立ち上げて最初の企画は何でしたか?

 

ジョン・ゾーンのブルースバンドのライブです。原宿のクロコダイルでやりました。88年1月のことです。それがキャロサンプ名義で企画した最初のライブ。ジョン・ゾーンは、当時ACCの助成で東京に滞在していたカール・ストーンを紹介してくれた人でもあって、僕がスーデラで初めてブッキングをしたのはカール・ストーンのライヴでした。」

 

ーーーーカール・ストーンジョン・ゾーンも長いお付き合いなのですね。リュック・フェラーリを知ったのはジョン・ゾーン経由だったとか…?

 

ジョン・ゾーンがやっていたTzadik(ツァディック)というレーベルからフェラーリの『Cellule 75(細胞75)』が出たでしょ、クリス・ブラウンウィリアム・ワイナントが演奏した。当時Tzadikの新しいCDが出るとサンプル盤が僕のところに送られてきていたので、それがきっかけで聴いたのが最初です。」 

 

ーーーーどんな印象でしたか?

 

「ミュージック・コンクレートと生の楽器の演奏を組み合わせている作品ってあんまり聴いたことがなかったから、変わったことをやっている人がいるなと思いました。なんでか知らないけどジャケットはエロいし(笑)。 後で人づてに聞いたら、フェラーリ自身はあの録音はあんまり気に入ってなかったらしいですね。制作に直接関わっていたわけじゃないみたいだし。 初来日の数年前(1998年リリース)のことでしたね。」  

 

Cellule 75

Cellule 75

 

 



 

フェラーリとの出会いと東京公演 ー

 

ーーーー野田さんはフェラーリが二回目に来日した2003年にライブの制作とツアーのマネジメントを担当されました。鈴木治行さんのご指名だったそうですが、詳しい経緯を教えていただけますか?

 

「一回目の来日となった2002年は『新しい世代の芸術祭』という企画での招聘でしたが、僕は純粋にお客さんとして、二日とも行きました。そのときになんでだったか、終了後の打ち上げに参加することになったんですよ。知ってる人は(鈴木)治行くんくらいしか居なかったのに(笑)。会場の滝野川会館の近くのお寿司屋さんでした。芸術祭の代表の小内將人さんが宴席の盛り上がった勢いで翌年の芸術祭のための新作委嘱をフェラーリにしているのを目撃しましたよ(笑)」

 

ーーーーフェラーリ夫妻とは話しましたか?

 

「話しました。ブリュンヒルド夫人が『美味しい日本酒を注文するときは、どうやってすれば良いの?』と言うので、そのへんの適当な紙に僕が『SAKE KARAKUCHI HIYA 酒 辛口 冷で』って書いて、これを伝えるか店員に見せれば良いよと言ったんです。そうしたら翌年の来日のときに、なんとブリュンヒルドはまだ持ってたの、その紙を(笑)、大事に財布に入れて。」   

 

 

ーーーーよっぽど大切にされていたんですね(笑)。日本に行くならマストアイテム!と思っていたのかな。日本酒好きのブリュンヒルドらしいエピソードです。

 

「治行くんからライブの企画を依頼されてから二回目の来日までは、フェラーリ夫妻とはメールでやりとりをしていたんですが、日本に着いて再会したら『あのときのSAKEの男か!』と顔と人物が一致したみたいで(笑)、そのおかげかスムーズに事が運びました。」

 

 

ーーーー東京でのライブをプロデュースするにあたって、会場にスーデラを選んだわけを教えてください。

 

「ちょうどその頃、ギタリストの秋山徹次くんーー僕らはキャップって呼んでるんですけどーーと一緒に、スーデラで『Deluxe Concert Series』という連続企画をやっていたんですね。月1のレギュラーイベントで、毎回お客さんがあまり入らない寂しいイベントだったんですが(笑)。それの39回目、たしか最後の企画として、リュック・フェラーリのライブを当てた、というのが経緯です。『Deluxe Concert Series』はスーデラの前身である『Deluxe』というスペースだった頃からやっていたんです。」

 

 

 

ー デラックスからスーデラへ ー

 

ーーーースーデラが六本木で営業を始める前は『Deluxe』の名前で麻布十番に場所を構えていたと聞いていますが、Deluxe時代からよくご存知なんですね。どのような場所だったのでしょうか?

 

「もともとシェアオフィスの共有スペースだったんです。いくつも事務所が入っていて、東京エール(地ビール醸造所の事務所。代表のマイク・クベック氏はスーデラのプロデューサー)とか、建築事務所とか、(クリエイティブユニットの)生意気なんかが集まって共同で運営していたスペースがあったんです。 」

 

ーーーーオフィスの共有スペースということは、大きな音は出せたんですか?

 

「そもそもPA設備も何もなかったんですよね(笑)。必要なものは持ち込まなくてはいけなかった。まったくの生音か、その頃の音響派とかエレクトロニクスの人とかは自前の簡易なシステムでも演奏できたから、それでなんとか音を出していました。 先ほど話に出た『Deluxe Concert Series』は『Deluxe Improvisation Series』というタイトルで、ブレット・ラーナー(カナダ出身の箏奏者。沢井一恵に師事)という人がやっていたんですけど、彼が帰国することになって、その企画をキャップと中村としまるくんとで引き継いだんですね。としまるくんは自分がそういうことに向いていないと思ったのか早々に降りてしまって、いわば逃げ遅れた人の良いキャップが僕と一緒にやることになったんですけど。」   

 

 

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フェラーリと野田さんの間にチラリと写る、「キャップ」こと秋山徹次さん

 

ー  「Les archives sauvées des eaux」(水から救われたアーカイヴ) ー

 

「キャップには感謝していますよ。企画の内容を考えるのは主に僕でしたけど、キャップがいろいろとサポートしてくれたから続けられたし、彼がきちんと録音をしておいてくれたから、フェラーリ大友くんとのライブをCD化することもできましたし。 」

 

ーーーー「Les archives sauvées des eaux」ですね。Disc Callithumpの第一作としてリリースされたCDで、フェラーリのスーデラ公演のライブ録音を収録したものです。「Les archives sauvées des eaux」をライブでやるというのは野田さんの提案だったのですか?

 

「いえ、フェラーリの希望です。大友良英と共演したいというのもフェラーリの希望。いろいろな方面にアンテナを張っていた人だから、大友良英という存在は知っていたんでしょうね。大友くんは大友くんで、ヨーロッパでフェラーリのコンサートを聴いていたそうです。もちろん面識はなかったけれどお互いの音楽は知っていたから、大友くんに話をもっていったら二つ返事で『やりたいやりたい』ということになりました。 」

 

「リハーサルは『新しい世代の芸術祭』本公演の合間にやりました。滝野川会館の地下のスタジオを借りて大友くんに来てもらったんですけど、備品のスピーカーが一つ壊れていて、替えがないので諦めてモノラルでリハしたのを憶えています。楽譜を事前に大友くんに渡さなきゃいけなくて、その翻訳はなんと僕がやりました、仏和の辞書と首っ引きでね(笑)。同時進行で芸術祭のパンフの校正もやったりしていて、とにかくバタバタしてましたね、楽しかったですけど。」

 

ーーーーそして迎えた本番は大入り満員だったとか。

 

「100人くらい入って盛況でした。フェラーリも満足そうでしたよ。終わった後の打ち上げでも上機嫌で、スーデラの近くにエイトっていう僕らが打ち上げによく使う中国料理店があるんですが、ちょっとエロティックでいかがわしい感じの内装がいたく気に入ったみたいで『ここは素晴らしい場所だ!』って言ってご満悦でした。2012年にブリュンヒルドがスーデラでマルチスピーカーのライブをしたときにもそこで打ち上げをしたし、思い出深い場所ですね。」   

 

ーーーー今「Les archives sauvées des eaux」を聴いても、スーデラという場所があったからこそ実現した名演だったと感じます。なかなかこういう攻めたライブをできるというのは東京でも類をみないですよね。

 

「(スーデラのプロデューサーの)マイクさんが寛容で、いろいろなことを面白がってくれるというのが大きいですね。よそにもっていったら『は?』って言われそうなことも『いいねいいね』って受け入れてくれる柔軟さと懐の深さがありますから、非常にやりやすいです。六本木という場所柄か、客層も国際的なところがあるし。」

 

ーーーー「Les archives sauvées des eaux」のCDはフェラーリが亡くなった後の2008年12月に発売されました。

 

「ライブをやった当時はCD化するつもりはなくて単に記録として録っておいたんですけど、キャップのおかげで録音状態も良かったし、ライブ自体の出来も良かったから、キャロサンプでレーベルをやることにしたときに最初に出したいなと思ったんです。ブリュンヒルドも喜んでくれました。『Les archives sauvées des eaux』は eRikmとか、DJ Oliveとか、他のターンテーブル奏者とも上演して録音もしているから、まとめてボックスセットにしないかって話もあったんですけど、そこまで手を広げると大変になっちゃうし、だいたい一緒にやってる人が、マルタン・テトローとかは友だちですけど、ほとんどが面識のない人ばかりだったので、大友くんとのライブ録音だけをCD化したんです。 キャップがDATで録ったものをGOKサウンドの近藤(祥昭)さんに渡して音を整えてもらって、それを須藤(力)さんという小杉武久さんのサウンドエンジニアをしていた人にデジタライズしてもらいました。」   

 

 

ーーーージャケットの写真はミュージシャンのカヒミ・カリィさんが撮影されたものですね。なぜこの写真を?

 

カヒミさんはONJO大友良英ニュー・ジャズ・オーケストラ)のメンバーで、ONJOのマネージャーを僕がやっていたという縁があります。 山口市にあるYCAMの開館5周年のときに大友良英の個展(2008年の『大友良英 / ENSEMBLES』)をやっていて、僕がその会期中に行われたコンサート制作マネジメントや舞台監督をやっていたんですけど、あるコンサートの中でカヒミさんの撮った写真をスライド上映していたんですね。それを見ていいなと思って、東京へ帰る電車の中で使わせてもらえませんか?って聞いたら、快諾してくれました。」   

 

「写真選びのテーマは『水』です。『水から救われたアーカイブ』なので水を想起させるビジュアルがぴったりくるんじゃないかと思い、カヒミさんに提供してもらった作品の中から主に僕がチョイスしました。表ジャケットの水紋の写真はONJOのヨーロッパツアーの際、リスボンでのコンサート会場だった美術館の庭の池を撮ったものだそうです。CDの袋のパピルスの水辺に飛ぶ白い鳥を絶妙のタイミングでとらえた写真も、同じときにリスボン市内を散策していて撮ったそうです。ジャケット内側の見開きの写真、これだけは水のイメージとは正反対の砂漠の写真を選びました。場所はモロッコのメルズーガというサハラ砂漠の入り口にある村で、カヒミさんが訪れる前日に滅多に降らない大雨で洪水になって村全体が流されてしまったそうなんです。そこへ行くのを中止しようと思っていたら、ガイドの人に『せっかくここまで来たんだから行こう』と言われ、躊躇しながらもそこでの風景を写真に収めたそうなんですね。茶色い砂漠の写真を銀色の紙に印刷したんですが絶妙な色合いになり、まるで砂漠が光を放って輝いているようなビジュアルになってカヒミさんもとても喜んでくれました。その後にカヒミさんがその村のことをネットで検索してみると、洪水のおかげでオアシスができて村が復活したことを知ったそうです。僕はそういう経緯を知らずに写真を選んだんですが、なかなか象徴的な逸話でしょ。」 

 

ーーーー村が文字通り「救われた」のですね……なんてゾクゾクする逸話なんでしょう!
ブックレットのデザインも素敵です。英仏日の3ヶ国語で解説が書かれているんですが、よく見ると下地の部分に楽譜の文字がトレースされているんですよね。

 

「デザインは、グラフィックデザイン以外にも絵画や映像なども手掛けているアーティストでもある永戸鉄也くんにお願いしましたが、フェラーリの楽譜を下地に敷くというアイデアは僕から提案しました。」   

 

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パッケージにもこだわり抜いた「Les archives sauvées des eaux」。お求めはこちらから→ http://www.galabox.jp/product/462 

 

 

フェラーリとの珍道中 ー

 

ーーーースーデラでのライブが終わり、名古屋・大阪・京都に同行されました。

 

「治行くんが『東京以外でもできないか?』と言うので、名古屋学芸大学でのレクチャーと大阪市アーツアポリアでのコンサートをブッキングして、ツアーマネージャーとして同行しました。」   

 

 

名古屋学芸大学佐近田展康さんがご自分の授業の枠の中で組んでくださった特別レクチャーでした。4chのマルチスピーカーシステムを組んで実演を交えながら。東京から通訳の人をつれていってレクチャーを行いました。」

 

「大阪は、アーツアポリアという文化事業のディレクターをしていた小島剛くんともともと知り合いだった縁で、彼に相談して、築港にあった大正時代に建てられた赤レンガ倉庫で8chのマルチスピーカーシステムを使用したコンサートを行いました。 それらの演奏の間、フェラーリはミキサーで各スピーカーの出音を操作していたんですが、僕はその横にひざまずいて一曲終わるごとにCD-Rを取り替えるっていう簡単なお仕事をしていました(笑)。サウンド的にはベストポジジョン、マルチスピーカーの中央で聴けたので役得でしたね。お客さんもけっこうたくさん入って、良いコンサートになりました。」

 

ーーーーフェラーリのツアーは大阪で終わりでしたが、その後のオフの京都にも同行されましたね。

 

「前回の来日の際に風邪を引いて京都に行けなかったリベンジをしたい、との強い希望で、2泊3日で京都観光を組みました。 まず金閣寺に行きたいと言われて、金閣寺に行くならと近くの竜安寺にも案内しました。『ここがジョン・ケージで有名なあの竜安寺だよ』って。金閣寺は特に気に入ったみたいで、フェラーリは『もう一回見たい』と言って、順路をひと回りした後に一人でもうひと回りしていましたよ。」

 

「それから相国寺相国寺の法堂の天井画で鳴き龍ってあるでしょ?法堂の中で手を叩くとフラッターエコーがかかって龍が鳴いているように聞こえるっていう。ちょうど特別公開をしていたので、フェラーリのフィールド録音も兼ねて拝観しました。後日談ですが、『トランス・ワールド・ミュージック・ウェイズ』という田中美登里さんがやっているラジオ番組でフェラーリ大里俊晴くんがゲストの回があったんですけど、放送の中で僕らがその鳴き龍を見ているときの録音がなぜか流れたんですよ。放送されるなんて知らなくて、僕がフェラーリに説明している下手くそな英語まで放送されて、ちょっと恥ずかしかったですね。

錦市場や夜の先斗町祇園なんかも案内したんですが、錦市場はBGMがかかっているのがイヤだって言ってとっとと退散しちゃいました。」

 

 

↓過日アーカイブ放送もありました。おや、このサングラスは...?よっぽどお気に入りだったようです!

 

ーーーーそれはフェラーリがマイクで録音していたから(BGMが耳障りだった)、ということですか?

 

「その通りです。曲の素材に使ったかどうかはわからないですけど、首からDATを提げて、胸の前にワンポイントステレオのマイクを構えて、とにかくしょっちゅう録音していました。

祇園白川に夜行ったんですけど、巽橋で舞妓さんがかっかかっかと下駄の音をさせて駆け足で通り過ぎていったところを、フェラーリがその下駄の音につられて急に方向転換して、ひゅ〜っと後を尾けていっちゃって。舞妓さんの後を追いかけるフェラーリをあわてて追いかける、ってこともありましたね(笑)。そのことはブリュンヒルドも憶えていましたよ。2016年にブリュンヒルドとその場所のすぐ近くで昼食を食べたんですけど、昼間だったのに『ここ、あのときの場所の近くね』って言われましたから。」

 

 

ーーーーアテンドをしていて何か困ったことはありましたか?

 

「一緒にいて特に苦労したことはないですね。楽しかった思い出しかないです。最初は『すごいキャリアのある、偉い人』ってイメージだったから、自分なんかで大丈夫かな?って少し心配していたんですよ。今まで僕が付き合ってきた人とちょっとクラスが違うっていうか…..。でも実際は全然そんな心配をする必要なんてなくて、まったく偉ぶったところがない。はじめ僕は『ムッシュー・フェラーリ』って呼んでいたんですけど、『僕のことはリュックと呼んでくれ』って言われて。こちらのことを非常に尊重してくれるし、飄々としているけれど我が儘は言わないし、ユーモアもあってお茶目だし、とてもやりやすかったです。」   

 

ーーーー無事に日本の旅を終えたフェラーリ夫妻を空港まで送ったそうですが、別れ際になにかお話はしましたか?

 

「朝早かったんですが、フェラーリからはまた来たいということで、次はあれをやりたい、これをやりたいという話をたくさん聞かされました。実現しなかった企画の話をするのもどうかと思うので詳細は控えますけど、『ここ数年一緒にやっている素晴らしい歌手がいるから連れてきて一緒にやりたい』などとかなり具体的にアイディアを出していましたね。僕の仕事ぶりはどうやら気に入ってもらえたみたいで、『君と直接話がしたい』と言ってくれて、その後もメールでやりとりはしていたんですが、あのようにあまりに突然亡くなってしまったので、結局会ったのはその日の関西国際空港が最後になってしまいました。」

 

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見送りの時ももちろん、このサングラス。

 

ーーーーリュック・フェラーリは残念ながら2005年に世を去ってしまいましたが、ブリュンヒルドとの交流は続いていますね。

 

「2012年のブリュンヒルド来日でのメモリアル・コンサートがスーデラでできたことは良かったです。やっぱり、あの夫婦にとって思い出の場所ですからね。そのときに上映をさせてもらった映画の監督ジャクリーヌ・コーもアグレッシブな人です。彼女たちには今後もまだまだ活躍していただきたいです。」

 

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ブリュンヒルドはその後も単独来日している

 

 

ーーーーそろそろお別れの時間になりました。 最後にフェラーリについて、もしくはフェラーリ夫妻についての印象を一言お願いします。

 

「アテンドしていてラクな人たちというか、まったく驕ったところがない、とても付き合いやすい人たちです。ただ、録音するサウンドスケープに関しては品評が厳しかった。やはりフェラーリという人は耳が鋭い人なんだと感じましたね。 あと、リュック・フェラーリブリュンヒルドは二人で一つ、なんですよね。『一心同体感』というか、切っても切れない感じがすごくありました。」

 

ーーーー長時間にわたり、貴重なお話をありがとうございました。

 

 

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お気に入りの西脇一弘さんの絵の前で、笑顔の野田さん。おいしいたい焼き、ごちそうさまでした!

 

 

(インタビュー / 文:渡辺 愛 (作曲家)、インタビュー日時:2018年12月20日 於:東京都内の野田氏自宅)

 

 

*編集後記*

Les archives sauvées des eaux」ブックレットの解説文でブリュンヒルドはスーデラのことを「モントルイユのアンスタン・シャヴィレを思い起こさせる、美しくてあたたかな場所」と表現しています。たしかにパリ近郊のアンスタン・シャヴィレ、ロンドンのCafe OTO、そして東京のSuperDeluxeには、実験的でありながら調和を感じる、何か共通の空気が流れているように思えます。 SuperDeluxeは一旦その歴史に幕を閉じることになりましたが、Disc Callithumpが手がけた「Les archives sauvées des eaux」は現在も販売中で入手可能です。またいずれどこかで営業再開されることを期待しつつ、リュック・フェラーリ大友良英氏がスーデラで奏でた奇跡の瞬間をぜひ、感じてみてください。

 

 

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