隔年開催で、本年で4回目となる「プレスク・リヤン賞」へ全世界から届けられた応募作で、1次、2次の選考過程を経て、最終審査を通過したものは16作品あった。それら16の候補作から最終的に賞を決定する最終審査が、去る12月6日パリ時間の午後4時からナシオン近くのリュック・フェラーリ生前最後の仕事場、アトリエ・ポストビリッヒで行われた。審査委員は以下のとおり:
・Brunhild Ferrari ブリュンヒルド・フェラーリ(作曲家、プレスク・リヤン賞主宰)
・Olivier Bernard オリヴィエ・ベルナール(SACEM 前会長 )
・François Bonnet フランソワ・ボネ(作曲家、G.R.M. 芸術監督)
・Anne Gillot アンヌ・ジヨ(ラジオ・スイス・ロマンド プロデューサー )
・David Jisse ダヴィッド・ジス(プレスク・リヤン賞2018審査委員長、“La Muse en Circuit”(「回路の詩神」協会)前ディレクター、作曲家)
・Vincent Laubeuf ヴァンサン・ロブフ(作曲家、MOTUSディレクター)
・Silvia Maglioni シルヴィア・マリオーニ(映画監督)
・Ryosuke Shiina 椎名亮輔(プレスク・リヤン協会日本支局長、同志社女子大学教授)
・Graeme Thompson グレイム・トムソン(映画監督)
・Wilfried Wendling ヴィルフリード・ヴェンツレン(“La Muse en Circuit”(「回路の詩神」協会)ディレクター、作曲家)
最初に今回の応募作についての全体的な印象として、「応募作品数が増加し、フェラーリの残した録音アーカイブを活用するという極めて特異なコンクールにおいて、かつてよりも、そのようなアーカイブをより自分の音楽にうまく取り入れて消化しているものが増えた、これらはとても好ましい傾向である」という説明が審査委員長よりあった。
本年度も審査員はあらかじめすべての候補作品を聴いて評価を点数化しており、それらを持ち寄って、残った点数の高いものに対してアトランダムに審査が開始されていった。
まずHaku Sunghoの作品はその完成度の高さと楽しさから、この作品こそがグランプリをとるべきだという意見が出たが、最終的に審査委員長のダヴィッド・ジスより、「この作品はアプローチの特異性から他の作品と同列に論じることはできない」という意見が出、それに半ば押し切られる形で、結果的に別枠の特別賞を授与することでまとまった。
・Haku Sungho < Nylon line > (6’05)
続いて2位に入ったYoann Sansonだが、評価が分かれた作品であり、高評価の内容の中には「崇高sublîme」や「荘厳magnifique」という語も聞かれた。とくに沈黙をうまく使っていることが高く評価された。しかし低評価の中には、「素材の操作のみに終始している」とか「効果のみを狙っている」という言もあった。だが全体として、応募作品の中では30分以上という飛び抜けて長い時間の中で「形式化への野心」が見られ、作曲作品として成功している点の評価が高かった。
・Yoann Sanson < No more Noise > (32’04)
次にTomonori Okadaの作品について語られた。こちらはSansonと比べてかなり短い時間の作品であり、その凝縮された時間の中で「ひとつの旅」が経験される点が評価された。「引き伸ばされた時間感覚」、「素材を扱う手つきの精妙さ」などが語られ、水から浮かび上がってくるデリケートな幻影が聞こえてくる、無限性を感じさせるような、真の意味での「逸話的な」音楽、「映画的な」音楽であるとされた。
・Tomonori Okada " August 6, Motoyasu River " ( 7’15 )
そしてGuillaume Contré。熟練の作曲家としての手際の良さが評価されたが、この作品も長いものであり、それが反復をして長いだけだ、という批判も聞かれた。良くも悪くもうまく出来た作品であり、中には「退屈もしないが、素晴らしいと思うこともない」という評価もあった。
・Guillaume Contré " Grande Tautologie " (41’52)
そして1位のAlexandre Homerin の作品は、独自の語法により、特殊な空間を生み出すことができているとされた。一種のメロディーが聞こえ、それがフェラーリ作品にも、ある意味、遍在するメロディーと呼応して、真の意味でのオマージュになっている。しかし、中間部の中断が残念であり、またマイクの使い方が現代的で「汚れた」ものである、という評価であった。
・Alexandre Homerin < L’otium du peuple > (12’54)
同率首位の Kokichi Yanagisawa は、一方ではこれも「あまり清潔でないマイク」の使用とアイデアが「平凡」であるという批判も受けたが、他方で「驚くべき魅力」を湛えた作品ともされ、とくに5分間の間に同じ場所に止まっているのにもかかわらず、変化している体験が高く評価された。そこで聴者は自らの体験を探すことを余儀なくされる。その意味で、もうひとりの1位である Homerin の対極にある作品である。音楽としてはあまりに独創的であるが、そこに良い意味での「距離感」があるといわれた。
・Kokichi Yanagisawa < In The Dreams Some Drops Had > (10’10)
John Wiggins の作品は、独特のリズム形が見られ、反復可能性があるのに反復しないという、逆説的なトートロジーが評価されたが、一方であまりに短く、まったく発展性が見られないという酷評もあり、評価が大きく分かれた。ほかの評価としては、真の断絶感をともなった、意志的なミキシングや、3分間の形式の中で、沈黙とリズム性をうまく用いて、美しい空間を作り出すクオリティーがあげられた。
・John Wiggins " Taken sound " (3’09)
John Montgomery については、その非常に激しい性格の中に、透明な距離感が感じられ、そこに一種の「催眠性」があるところが評価された。また、とても美しい音響、とくに低音を用いて、ひとつのドラマを作り上げる能力や、音高の選択において、うまく曖昧さを操作する能力も評価された。しかし、電子音響の部分については少々ざんねんな点があるとの批判もあった。
・John Montgomery " vol " (7’53)
Julia Bejarano Lopez の作品は、作曲作品として非常にうまく「作曲」されているところが評価された。また、誘惑するような感覚をもった、真の作曲家の仕事という点や、低音がとても美しい点も評価が高かった。しかし、第二部には少々クオリティーが下がるという批判もされた。
・Julia Bejarano López "Micrófono entreabierto " (10’06)
Julien Podolak については、とても危なげなく作曲されており、それがときにあまりに「優等生的」にも響くが、しかし手堅い手法はやはり評価された。電子音響とアコースティックの特徴をうまく使いこなす、技巧的作曲家であるとされる。一部の審査員は、ほかの審査員よりもあまり彼を買わなかったが、最終的には全員が納得して入賞した。
・Julien Podolak " GDN " (9’13)
椎名亮輔
(審査後のオフショット)
【関連過去記事】
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