イタリアのアレッツォへ演奏旅行中だったリュック・フェラーリが急逝したのは10年前の今日8月22日のこと。
前回のブログ では、この大切な日に「ほとんど何もない」第一から第四までが連続上演されるフランスのイベントFestival Futuraについてお知らせしました。またドイツやフランスで放送される特集放送についても今後お伝えしていく予定です。
ヨーロッパはもちろんのこと、日本でも彼の没後にその作品に初めて接し、関心を持っていただける
方達が増えてきていることは、彼の作品がただその時代と共にあっただけではなく、芸術作品としていかに完成され、魅力的なものであるのかを示しているものと言えるでしょう。
電子音楽やヘールシュピール、また器楽曲といった作曲作品にとどまらず、インスタレーションや映画、さらには小説、エッセーにまでその領域を広げていた彼の芸術作品やアイデアはまだ紹介すらされていないものも多数あり、今後の継続的な研究や上演などがますます期待されています。
そしてまた一方で20世紀の現代音楽史の核としてあったリュック・フェラーリの人物としての魅力や交流などについても今後、様々な方面から光があてられていくことでしょう。
彼の遺した膨大な作品資料は彼のパートナーであるブリュンヒルド・フェラーリ夫人と、彼女によって設立されたプレスク・リヤン協会により厳密に管理され、次世代によりよい形で伝えるべく現在もアーカイブ化の作業が継続して行われています。
没後10年を経て改めてフェラーリの人物とその芸術に向きあった時に、その輝ける業績は決して彼の生きた時代に向けられていただけではなく、人類にとっての芸術がまさにそうであるように、我々の未来への向けての照射でもあったと言えるでしょう。
今日私たちが聴くリュック・フェラーリの作品は、私たちの知らなかった過去を照らし、知ることが出来る未来を考えさせてくれるものになってくれるかも知れません。
そして今日、生前のリュック・フェラーリを知らなかった人も、知ることができた人も、彼の作品を楽しむことができるということこそが、普段から明るい笑いを絶やすことがなかったという彼の望んでいたことではないでしょうか。