ヴォルテール通り11番地、地下2階……。
ルスタロ少佐もとい伍長:ふむ、もう5月か。……トルミンが潜入操作で日本に渡り、そのまま行方をくらましてから一年経つのだな。早いような長かったような……上からは責任追及の嵐、少佐から伍長への降格人事が言い渡されたのが昨日のことのようじゃ、フフフ。この傍受室に一人で張り込むのもすっかり板についてきおったわい。しかし一人も気楽でよい。少佐だった時分は常に怒鳴り散らしてばかりだったが、もう怒鳴る相手もおらんのだからな…昼からビールも飲み放題、栓抜きの場所だって今じゃバッチリだ。♪ 君がいないと~なんに~も~できないわけ~じゃな~い…… ♪
パサッ!
ん……?珍しいな、傍受室に普通郵便が届くとは…消印は…コルビエールか。オード県に知り合いなんていないはずだが……
-------------
拝啓
新緑が目に眩しい季節、日もだいぶ長くなりました。
少佐にはお変りなくお過ごしのこととおよろこび申し上げます。
一年前の無作法なお別れのしかたで、少佐にはずいぶんとご迷惑をかけてしまいました。この場を借りて、お詫び申し上げます。
あの日、ジャクリーヌ・コー来日に係る潜入捜査を終えた私は日本を離れ、一旦はフランスに着いたものの、あの懐かしい傍受室には一度も寄ることなく放浪を続け、今はここコルビエールで暮らしています。
いえ、コルビエールに戻った、といったほうが正しいでしょう。
わたしのほんとうの名前は、シャンタルといいます。
コルビエールの片田舎に住む、どこにでもいる村娘でした。
結婚もしていましてね、夫もここで生まれ育った人間です。
子どももいます。びっくりでしょう?少佐にも会わせたかったな。
コルビエールはワインの生産地ですが、観光地と呼べるような華やかさはないところです。
そんな土地に旅行の計画を立て、そして本当に訪ねてきた人たちがいたことを、私は生涯忘れることはないでしょう。
彼らの名前はブリュンヒルド・フェラーリとリュック・フェラーリ。1977年の夏のことでした。
当時の私は若い家政婦で、私自身の人生と闘争の只中に居ました。
私の人生、私の欲望、私の夢、私の恐怖、それらは当時の社会的な動向と密接に関わるものだったのです。
二人のフェラーリはマイクを持って私の前に現れ、私にインタビューをしてきました。そして私は長い間、彼らと話しました。
キッチンのよろい戸から漏れ入る陽光に照らされたシャンタルは美しく、輝いている……あっ、これは自画自賛で言っているわけではないですよ!後にeRikmさんがおっしゃったことです(笑)
そんなわけで、私のよもやま話は個人的なレヴェルを超えて、当時の解放の季節の、人類学的な、社会的な、そして詩的な足跡となってテープレコーダーに吸着されたのです。
私は普通の人間です。そのような人間の話が、まさか芸術作品として昇華するなど、あり得ないと思っていました。
しかし彼らはやったのです。このような芸術のジャンルを「ヘールシュピール」と呼ぶそうですが、このへんは少佐のほうがお詳しいでしょうね。私もヘールシュピールについて詳解したこちらの連載を読みながら、ああそういうことだったのかと、改めてあの作品のことを想い出す日々です。
時は2009年。カナダのケベック州にあるAvatar/OEM というレーベルが、この作品“Chantal”を発売したいと言ってきたのです。レーベルカラーからすると異色のリリースでしたが、それがかえって好評でした。
そこで事件は起きました。録音された私の声をAvatarのスタッフがマスタリングした際、何の拍子か1977年の私が実体となってこの世界に飛び出してきてしまったのです。肉体は若いあの頃のまま、時代は21世紀という境遇にそれは驚きました。子どもはどうしよう、夫はどうしようと嘆きました。とにかく帰らなければとカナダを発ち、身分を隠してフランスに渡りました。しかしフランスに着いても時は未来のままでした。もうここで生きて行くしかない。そう腹をくくった時に出会ったのが、少佐でした。右も左も分からない私を拾ってくれた少佐の御恩は一生忘れません。楽しい日々でしたね。怒られてばかりでしたが、私としてはできればずっと居たかったのです。でもそれが叶わないと悟ったのは、そう、“ リュック・フェラーリの身辺調査 ”を命じられた時でした。まさか私がフェラーリと既に繋がっているとは、少佐とて思いもよらなかったでしょう。
「ここには長く居られない」、そう思った私は脱出の機会を狙っていました。そして念願の日本への派遣。これを機に、少佐そして傍受室に永遠のさよならを告げたのです。
コルビエールに戻った私はいともあっさりと現実の私と融合し、いまでは姿形もまごうことなきオバサンとなりました。
マドモワゼルと呼ぶ人はもういませんが、私は幸せです。こんな田舎町でも、いまの若い世代はあの頃にはなかった女性の自由を謳歌しています。時代は変わったのですね。
「マルセイユ出身のアーティスト、フランソワ・パラを通じてはじめてこの作品を聴いたとき、自由の風が私の心を吹き抜けていった」と、“ Chantal ”についてeRikmは懐述しています。私も今、自由の風の只中にいますが、1977年の若い私は、フェラーリのおかげでいつまでもこのディスクの中にいます。少佐もどうぞご自分自身を大切に、いつまでもお元気でお過ごしください。
親愛なるルスタロ少佐へ
トルミン改めシャンタル・ブランより
-------------
終
今日ご紹介したCDは……
“Chantal, Ou Le Portrait D'Une Villageoise”
http://avatarquebec.org/en/projects/chantal/
Luc Ferrari - Chantal (CD) at Discogs
http://www.discogs.com/Luc-Ferrari-Chantal/release/2619731
です。日本語タイトルは“シャンタル、或いはある村の女性の肖像”。これぞヘールシュピール!という41分1トラックの長編です。クレジットはLuc Ferrariですが、ブリュンヒルドとの共作になります。
編注:ほぼ2年にわたりご愛読をいただきました当「リュック・フェラーリ銀盤解説大作戦」ですが、残念ながら今回の掲載をもちまして連載終了となります。長らくのご愛読、ありがとうございました。次回の新連載にご期待ください!
【これまでの『銀盤解説大作戦』の過去記事はこちらから】
「リュック・フェラーリ銀盤解説大作戦」 カテゴリーの記事一覧 - リュック・フェラーリの『プレスク・リヤン協会』(簡易日本語版)