世の中にアーティスティックなカップルは数多けれど。
リュック・フェラーリとブリュンヒルド・フェラーリのふたりの関係もまた、アーティスティックというだけでは語りきれない関係です。
リュック・フェラーリは1958年に初めて電子音楽で作曲を始め、1959年に10歳以上も年の離れた若きドイツ美女、ブリュンヒルド・マイヤー=トルミンと結婚します。それから2005年まで続いたフェラーリの音楽を中心とする芸術活動は、まさにブリュンヒルドとのコラボレーション活動でもあったのです。彼との共同作業の際にも彼女はいちアーティストとして出しゃばることなく、だからといって裏方的役割のみに落ち着くこともなく、常にリュック・フェラーリとその作品に併走する形で、密やかに唯一無二のクリエイティビティを育んできたのです。
二人は言わば一つの舟でした。例えるなら音を釣る漁船・フェラーリ号の、たった二人の乗組員。旅行先ではマイク、リュックの耳そしてブリュンヒルドの耳という合計5つのスコープがいつも働いていて、持ち帰った音は二人で捌き、味付けや焼き加減を相談し、時に彼女自身の声をふんだんにトッピングして皿に盛る。実はそれがいま、皆さんの聴いているフェラーリの音楽なのです。
初めてマイクを持って外へ出た日。
テキストやシナリオの制作、記譜、朗読、翻訳。
十数作品あるヘールシュピール作品のすべてにおける同行。
スタジオでのテクニカルサポート。
いつも一緒でした。
リュック・フェラーリの電子音楽を育てたのは、ピエール・アンリでもピエール・シェフェールでもなく、ブリュンヒルドだった…と言い切るのは大胆にすぎるでしょうか。しかし、ブリュンヒルドこそ20世紀フランス電子音楽史の知られざる最大級の目撃者だったことは間違いないでしょう。
ご承知の通り、フェラーリ号の乗組員はいまやブリュンヒルド一人になってしまいました。
彼女はフェラーリ号、そしてフェラーリ号のようにこれから船に乗る人たちのための港を作り、”association presque rien”と名付けました。
そして、約40年に渡るリュックとの仕事の中で電子音響のスキルはすっかり彼女の手の内になり、言葉の感覚はより研ぎ澄まされ、一人で過ごしていても、何も作らないでいるには耳が肥えすぎてしまっていました。もともとドイツの現代美術家、ヴォルフガング=マイヤー・トルミンの娘でもある彼女にとって「ものづくり」はマルシェで野菜を買うくらいに自然なこと。彼女名義による初めてのオリジナル作品"Tranquilles Impatiences" (レコード)によってようやくフェラーリ号のエンジンを再始動させた彼女がそれまでリュックと辿っていたやや秘密めいたその航跡は、その後リュックとの名義で発売された"Contes Sentimentaux(センチメンタル・テールズ)"や”Programme Commun”と言った作品でここ数年ようやく明らかになってきました。
またフランスの即興チームGOLとのコラボレーション”Exercices d'Improvisation”そして”TAUTOLOGOS Ⅲ”などリリースを重ねる度にその評価は高まるばかりです。
特筆すべきは、リュックゆずりのしなやかで瑞々しいマテリアルもさることながら、彼女のルーツ・ドイツを思わせる漆黒のディープミニマルな音響。普段のやわらかな物腰からは想像もつかない、”Tranquilles Impatiences”で見せた骨太サウンド。その意外なギャップに、2011年の落合Soup、翌年大友良英と共演したSuperDeluxe等、日本のオーディエンスも驚かされました。その後もピアノと電子音響ための“sighing soil”や茅野市での「音風景の可能性」からの委嘱作“Extérieur Jour”など、オリジナル作品を継続的に発表。大学での特別講義や、ドイツで制作が進められている"Jounal Intime"の総合監修など、そのホットな活動も勢いを増すばかりです。
そして今回。神戸の旧グッゲンハイム邸、東京六本木・スーパーデラックスでは待望の新作がお目見えします。クリストフ・ヒーマンとともに仕上げられた今回の作品、震えて待つしかありません!さらにさらに、スーパーデラックスではあのジム・オルークとの共演。こちらではなんと一夜限りの即興を行うとのこと!これを見逃すと一生後悔するでしょう。歴史はまだまだ動いています。刮目せよ!
渡辺 愛(作曲家)
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