全国2万5千人のリュック・フェラーリファンのみなさま、こんばんは。
今日の『フェラーリ地帯』は以前から予告しておりましたLa Muse en Circuit(回路の詩神協会)についてまとめてお届けします。
(画像は最初期のロゴ)
La Muse en Circuit(回路の詩神協会)はリュック・フェラーリが1982年に設立した団体で、現在では国立音楽創作センター(CENTER NATIONAL DE CRÉATION MUSICAL)としてフランス国内における音楽芸術の発展において重要な位置を担いつつあります。
また毎年行われているメインイベント”Extension”の中でリュック・フェラーリに関連する企画を主催するなど、リュック・フェラーリの仕事に関しても大変意欲的な取り組みを続けている団体でもあります。
(なお、当プレスク・リヤン協会ではLa Muse en Circuitの日本語読みを『回路の詩神協会』と訳して扱ってきましたが、以降は“La Muse en Circuit”(「回路の詩神」協会)と併記致します)
La Muse en Circuit(回路の詩神協会)は1982年にリュック・フェラーリによって設立されました。
1982年のピエール・モーロワ首相の時代に文化相に就任したジャック・ラングの片腕であったMaurice Fleuret(モーリス・フルーレ1932~1990)は大変有能な人物であっただけではなく、次世代の音楽芸術に対する積極的な協力を惜しまない人物でもありました。
Maurice Fleuret - Wikipédia(仏語)
彼はまずピエール・アンリの仕事に対して予算をつけ、それによって彼が設立したのが『Studio Son/Ré 』です。
フルーレは今度はリュック・フェラーリを前に「さて、ピエール・アンリは立派なスタジオを作るというのだけれど、君は何かいいアイデアを持っていないかね?」と尋ねたそうです。
そこでリュック・フェラーリはしばらく構想を練った後、フルーレに企画を提出しましたが、その企画書には、予算をリュック・フェラーリ個人の仕事のために使うということは一行も述べられていませんでした。
彼がそこで構想していた計画は電子音響や現代音楽系に焦点を絞ったスタジオの設立ではなく、むしろそういったジャンル以外~シャンソンや詩、それに科学分野まで~を含めた総合的なジャンルからの幅広いアートコラボレーションが実現できる「芸術の家」の設立でした。
そこでまず最初にリュック・フェラーリ、ブリュンヒルド・フェラーリ、ダビッド・ジス、それに2人の音楽家と秘書を加えた総勢6人で1982年にパリのVanves(以下、ヴァンヴ)において、ブリュンヒルド・フェラーリによって名付けられたLa Muse en Circuit(回路の詩神協会)が設立され、リュック・フェラーリはPrésident(会長)として重責を担うことになりました。
やがてLa Muse en Circuit(回路の詩神協会)にはHenry Foures(アンリ・フーレス)やMichel Musseau(ミシェル・ミュソー)などのメンバーが続々と加わり、パリでの移動劇場などでの大掛かりな公演も行われるようになっていきます。
La Muse en Circuit(回路の詩神協会)の規模が大きくなっていくにつれ、リュック・フェラーリはますます運営にまつわる事務的作業に追われるようになっていき、本来の仕事である作曲をする時間が奪われるのを感じていました。
また設立時点の主旨とは反対に『リュック・フェラーリ』という大看板がどうしても運営の中心になっていってしまうということに、元来自由さを愛する性格の持ち主である彼も、また他の芸術家もぼんやりとした疲れを感じていくようになったであろうことは容易に想像できます。
そこで1994年にリュック・フェラーリは会長職を辞任します。その時に作曲されたのが『灰皿と辞任の物語』です。(なお彼は96年までは引き続き重責に縛られることのない一般会員の形で在籍しています)
1996年にはリュック・フェラーリは完全にLa Muse en Circuit(回路の詩神協会)から引退し、Atelier post-billig(アトリエ・ポストビリッヒ)において再び作曲の仕事に専念できるようになりました。
この頃と前後して組織の構成図が改変されていきます。
やがて1999年に盟友ダビッド・ジスが新たにディレクターに就任すると、ダビッド・ジスは続々と新しい企画を立ち上げます。
その目玉のひとつが今年10回目を迎えたConcours Luc Ferrari(リュック・フェラーリ賞)です。
”CONCOURS INTERNATIONAL D'ART RADIOPHONIQUE POUR SONS FIXES ET VOIX”と名付けられたこの賞は、ヘールシュピールと呼ばれるラジオドラマ、ラジオ的芸術音楽のための作曲作品に特化したコンクールで、特に若い作曲家をターゲットにしています。
受賞者には2週間にわたりLa Muse en Circuitのスタジオを使って15分の曲を作曲する機会が与えられ、作品はフランス国内外で放送されます。ラジオアート発表の場としてジュネーヴのArchipel(アルシペル)音楽祭への参加やパリでのコンサートも可能になります。
これらの入選作は毎年CD化され、各国で販売されています。
V.A "Concours D'art Radiophonique Luc Ferrari: Composer le Reel" CD - オメガポイント
V.A "10e Concours Luc Ferrari : Correspondance" CD - オメガポイント
現在でもLa Muse en Circuit(回路の詩神協会)は積極的にリュック・フェラーリ作品の上演や作品化を行い、またプレスク・リヤン協会とも深い友好関係にあります。
ヴァンヴから現在のAlfortville(アルフォールヴィル)に移転し、そしてその敷地内での数回の引っ越しを重ねた後、2006年にLa Muse en Circuit(回路の詩神協会)はそれまでの活動の実績も認められ、リヨンやマルセイユ、グルノーブル等にある文化大臣の管轄下に所属する『国立音楽創作センター』(CENTER NATIONAL DE CRÉATION MUSICAL)のひとつとして正式に認可されました。
La Muse en Circuit(回路の詩神協会)は現在でもその看板にリュック・フェラーリの名称を冠しています。
またダビッド・ジス氏はリュック・フェラーリの友人と共にプレスク・リヤン協会の設立にも関わり、現在プレスク・リヤン協会のディレクターに就任しておられます。
先日勇退された時の交代式についての模様はこのブログでもお伝えしましたね。
La Muse en Circuit(回路の詩神協会)のディレクター交代式 - リュック・フェラーリの『プレスク・リヤン協会』(簡易日本語版)
最後にLa Muse en Circuit(回路の詩神協会)の歴代の主なPrésident(会長)およびDirecteur(ディレクター)を紹介しておきたいと思います。
(※これまでDirecteurを「会長」と表記していましたが、2016年10月に新たな資料が発見されたためにPrésidentを「会長」、Directeurを「ディレクター」と表記します。なお現在のPrésident職は名誉職に近い位置だそうです)
Directeur (ディレクター)
Henry Fourès と Christian Sébille 1994 ~1997
Alain Foix 1997 ~1999
David Jisse 1999 ~ 2013
Wilfried Wendling 2013~
Président (会長)
Luc Ferrari ~1994
Alain Surrans ~1997
Anne Muxel 1997~
André Dubost 2003 ~ 2009
Geneviève Gallot en 2009~
(文中敬称略)
(今回この記事を書くにあたり、いろいろな写真や詳しい情報を下さった皆様にこの場を借りて深く御礼を申し上げます)
【参考過去記事】
新企画「リュック・フェラーリ地帯」(第一回:palislike) - リュック・フェラーリの『プレスク・リヤン協会』(簡易日本語版)
「フェラーリ地帯(ライン)」(第2回;Jacques Brissot) - リュック・フェラーリの『プレスク・リヤン協会』(簡易日本語版)
「フェラーリ地帯(ライン)」(第3回;Michel Maurer) - リュック・フェラーリの『プレスク・リヤン協会』(簡易日本語版)
モントルイユで開かれた"Autour de Luc Ferrari"の報告です - リュック・フェラーリの『プレスク・リヤン協会』(簡易日本語版)
La Muse en Circuit(回路の詩神協会)のディレクター交代式 - リュック・フェラーリの『プレスク・リヤン協会』(簡易日本語版)
プレスク・リヤン賞【2】 - リュック・フェラーリの『プレスク・リヤン協会』(簡易日本語版)
中村麗「リュック・フェラーリの曲「Und So Weiter」との出会い」 - リュック・フェラーリの『プレスク・リヤン協会』(簡易日本語版)