ラジオ・ドラマからヘールシュピール、そして逸話的音楽へ。このような流れを考えることもできるだろう。というか、私自身のリュック・フェラーリ音楽体験がこのように繋がっているのだ。(正確には、逸話的音楽からヘールシュピールだけれども。)ヘールシュピールとは、伝統的な物語を語るようなラジオ・ドラマ(その典型が小説作品の朗読だが)から少しずつ逸脱して行く。物語が曖昧になり、そこに何が語られているか、あるいは我々がどこにいて、何を聴いているのかが、はっきりしなくなっていく。夢の世界に入って行く、と言ってもいいかもしれない。そして、逸話的音楽とは、むしろこれは、「現代音楽」の正統派である、ミュージック・コンクレートの「鬼子」みたいなものだ。ミュージック・コンクレートは、現実に存在する「具体的な」音を録音して、さまざまな変形をほどこし、操作して、「抽象的な」音楽を創作しようとする。リュック・フェラーリは、そこに抑圧を感じた。(創立者ピエール・シェフェールの性格もあろう。)そこで、「具体」を「抽象」にすることに反発したのだ。そこに、音楽に逸話を持ち込む動きが生じる。(続く)(椎名亮輔)