リュック・フェラーリの『プレスク・リヤン協会』(簡易日本語版)

フランス現代音楽における重要な作曲家の一人である、リュック・フェラーリ(Luc Ferrari:1929~2005)に関する情報を主に日本語でお伝えします。プレスク・リヤン協会(Association Presque Rien)は彼の友人達によってパリで設立されました。現在もその精力的な活動の下で続々と彼の新しい作品や楽曲、映画、インスタレーションなどが上演されています。 なお、より詳しい情報は、associationpresquerien@gmail.comまでお問い合わせください

リュック・フェラーリ監督作品が日本で初めて東京と京都で特別上映!(その2)

全国2万5千人超のリュック・フェラーリファンのみなさま、こんばんは。

 

前回に引き続き、今日は10月28日18時半(18時開場)より、京都の同志社大学今出川)で開催される、リュック・フェラーリの作品上映とブリュンヒルドフェラーリ女史による解説イベント「監督 リュック・フェラーリ~作曲家が「それ」を撮影する時~」で特別上映される映像作品「ほとんど何もない、あるいは生きる欲望」について、ちょっと詳しくご紹介していきます。

日本では今回、京都だけの上映となります。ぜひこの機会にご覧くださいませ。

 

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上映日程、また26日の日曜日に東京六本木のスーパーデラックスの公演「ジム・オルークブリュンヒルドフェラーリ・LIVE!!」についてはぜひこちらからご覧ください。

 

必携!リュック・フェラーリ関連イベントまとめ(2014秋版) - リュック・フェラーリの『プレスク・リヤン協会』(簡易日本語版)

 

【緊急告知!】ブリュンヒルド・フェラーリ日本初ソロライブ!東京ではジム・オルークとのツインが決定! - リュック・フェラーリの『プレスク・リヤン協会』(簡易日本語版)

 

 

今回上映される作品はどれも元々16ミリで撮影され、西独のテレビ局N.D.RS.W.Rで公開されました。やや経年劣化などによる傷みや媒体の劣化があったものの、これまで日本でこれらの作品がまったく紹介されることなく「幻の作品」となっていたこと、またリュック・フェラーリの芸術への理解を深めていただくには大変貴重なものであることなどを踏まえ、今回のブリュンヒルドフェラーリ夫人の来日を機に、特別に日本語字幕付きで上映していただける運びとなりました。

 

特に「少女たち、あるいはソシエテ」と「ほとんど何もない、あるいは生きる欲望(第一部:コース・メジャン、第二部:ラルザック高原)」は今回のブリュンヒルドフェラーリ夫人の来日に伴い、トークと合わせて特別に上映される作品となっています。日本語字幕付きで見ることのできる、大変貴重な機会となっておりますので、ぜひぜひお見逃しなく!

 

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「ほとんど何もない、あるいは生きる欲望 ~第一部:コース・メジャン~、~第二部:ラルザック高原~」という2本の作品は、「スポンタネⅣ」「少女たち、あるいはソシエテⅢ」で見せた軽さを残しつつも、より「生活を見つめる」ことに力点を置いた意欲作です。

「メジャン」と「ラルザック」の二つの地域は南仏にある隣りあわせの地域で、特にラルザックについては例えば2011年の24回東京国際映画祭で上映された「ラルザックの奇蹟」(クリスチャン・ルオー監督、セザール賞2012ドキュメンタリー賞)で既にご存知の方もいらっしゃるかもしれませんし、またフランスでのグローバリゼーションへの抗議を始めた地として知っておられる方もいるでしょう。

40年前に既にこの地域に注目していたリュック・フェラーリの慧眼おそるべし、と言いたいところですが、彼の視点はここでもひたすらに実直に「見ること」と「聴くこと」の作業を繰り返し、そこで生活する人たちの日常をじっくりとすくいあげることに成功しています。

 

 

「ほとんど何もない、あるいは生きる欲望 第一部:コース・メジャン」(日本初公開)

監督:リュック・フェラーリ(1972~73年/ドイツ/55分)制作:S.W.R *仏独二ヶ国語/日本語字幕付

 

フランスの僻地、メジャンで暮らす人たちを題材にしたドキュメンタリー作品が『ほとんど何もないあるいは生きる欲望 第一部 コース・メジャン』です。

『活動家』のロルフと独仏語を操る写真家のエリカの若い二人のカップルは、南仏の限界集落の現状を取材し、考察するためにこのメジャン村にやってきます。

 

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「コース」とは南仏の石灰質の不毛な台地のことで、映画の中にもこの石灰質の岩がごろごろと転がっているのを見ることができます。

このメジャン村で農耕・牧畜を生業として暮らす人たちや、フランスの僻村での農場を集団化することによって自立と共存を図ることを目指す「G.A.E.C」のアドバイザー、ミシェル・ガリベールなどとの会話の中で、ロルフとエリカは彼らなりの答えを探そうとして歩き続けます。

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1972年のフランスの僻地の現状は無論現在と比べるとよりひどいものでしょうが、限界集落をとりまく状況は日本の地方における現状に照らして考えることもできるかもしれません。

ただ、良質なドキュメンタリーがいつもそうであるように、この作品も決してひとつの結論に到達するのではなく、より広い「考えるための素材」を見る人に提供しています。

音の構成も実に面白く、「リュック・フェラーリの作品ってこうやって聴く方法もあるんだ!」と思う場面もあれば、「こういう録音をすれば、『美味しそうな音』が録れるんだ」と気づく場面もあります。

 

 

・『ほとんど何もないあるいは生きる欲望 第二部 ラルザック高原』(日本初公開)

監督:リュック・フェラーリ(1972~73年/ドイツ/52分)制作:S.W.R *仏独二ヶ国語/日本語字幕付

 

第一部に引き続き撮影された作品がこの「ラルザック高原」です。

メジャンとは地続きとなる極貧地帯、ラルザック高原にもちあがった陸軍演習場拡張計画と、そこに暮らしている人たちを撮影したこの作品は非常に複雑な社会問題を背後に負っているがゆえに、物語としての構造は一見とてもシンプルな組み立てになっているように見えます。

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当時フランスのメディアがほとんど触れようとしなかったこの問題を、リュック・フェラーリはドイツのテレビ局の委嘱により撮影しました。

ここでも第一部のロルフとエリカのカップルが登場し、ラルザックに放り込まれた二人はそこで、突きつけられた現実を直視することになります。

 

この計画に反対するボラディエール将軍(アルジェリア戦争に参加し、戦後捕虜に対する拷問行為を従軍者から唯一告発した軍人)の非暴力運動への取り組みや、農民の反対運動の模様を紹介しつつ、リュック・フェラーリはそのど真ん中に若い二人を投げ入れて、その姿をこの地に根ざして生きる農民の姿と対比していきます。

道化回しとも言える若い二人の姿を否定も肯定も、そしてもちろん誘導もなく見せることで、彼は見る者に考える空間を提供し、判断をゆだねることに成功していると言えるでしょう。

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沈黙もせず、語らず、しかしひたすらに「見る」。この一点について彼は自分のスタンスを崩さず、見るものの反応がそのまま自分に跳ね返るような不思議な構造を作っているようにも思えます。

この構造に彼の音楽作品のもつ特徴の一端が垣間見えるような気がする、といえば大げさかもしれません。

私たちが実際になにかの問題に直面した際に、それを解決する「カギ」についてとても深く考えさせてくれる作品です。

最後になりましたが、映像作品を見ることで、リュック・フェラーリがいかに普段私たちの回りに流れている音や情景に対して注意を払っていたかを再確認することができるでしょうし、また彼の作品が、いかに生活に根ざすものを考察しくつしていた作品であったかを知ることができるでしょう。

 

今回のイベントはこれまでほとんど翻訳なしに紹介されてきたリュック・フェラーリ作品をより深く知る大きなチャンスだと思いますし、素晴らしい芸術作品に触れる希有な機会です。

 

みなさまのご来場をお待ちしております!

 

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