私は普段、舞台音響の仕事をしているのですが、一緒に働いていた照明家の方が、「僕は、子どもの運動会でも、写真を撮るだけなんです。ビデオだと全てが記録されるけど、写真だと記録されるのはその一瞬で、その前後のことを思い出したり想像したりして、話が広がるでしょ?」と話していたことがあって、なるほどな、と思ったことがある。
私の幼い頃は、まだビデオカメラなんてなく、カセットデッキを前に置いて、ガチャリとボタンを押し、「これでええんか?」「もう回ってるで。」なんて声も一緒に録音してしまったものです。
もっとも、私自身には当時の記憶はないのですが、記録された音からその時の家族の様子が想像できる。
音だけだから、その声が、何番目の姉のものなのか、両親でさえもはっきりしなかったり。
父なのか、叔父なのか、誰なのか!?
見えない部分があるから、想像する。その時間がまた楽しいのだ。
リュック・フェラーリは世界のあちこちをマイクを持って旅をし、その録音を多く作品に使っている。
どこかの街で、車のドアを開け、女性と会話を交わす。
私達は想像する、その音から、その街を。そして、フェラーリと一緒に旅をする事もできる。
私と貴方の想像する街の様子は全く違うかもしれない。フェラーリが実際に旅した街とも!
その音を聴いた人の数だけ、その街が存在するのですね。
ちなみに、今週末放送の「ちびまる子ちゃん」の予告で、まるちゃんが「まる子が小さい時に歌った録音テープが出て来た。恥ずかしいから消してよ〜。」なんて言ってたけど、まるちゃん、絶対消しちゃダメよ。
(かつふじたまこ)