リュック・フェラーリの『プレスク・リヤン協会』(簡易日本語版)

フランス現代音楽における重要な作曲家の一人である、リュック・フェラーリ(Luc Ferrari:1929~2005)に関する情報を主に日本語でお伝えします。プレスク・リヤン協会(Association Presque Rien)は彼の友人達によってパリで設立されました。現在もその精力的な活動の下で続々と彼の新しい作品や楽曲、映画、インスタレーションなどが上演されています。 なお、より詳しい情報は、associationpresquerien@gmail.comまでお問い合わせください

ラジオ・ドラマからヘールシュピールへ5

さて、今回上演されるリュック・フェラーリ作品の中で一番、ヘールシュピールらしい(ということは、ラジオで上演されるドラマらしいとも言える)ものは、《ファー・ウエスト・ニュース》No.2 であろう。これは1998年9月にアメリカ演奏旅行をしたフェラーリ夫妻が、そこでさまざまな経験をする、というもの。彼は言う「もともと、こういうアイデアだった。器楽音楽や電子音楽で充満した、奇妙な生活を送る一作曲家、さまよえるマイクの専門家である彼が、アメリカ南西部を偶然にまかせて、旅をする、という」。これはオランダの放送局からの委嘱作品であり、おそらくオランダのラジオで初演されたと思われる。その旅の道筋は、1998年9月11日から16日、サンタ・フェからモニュメント・ヴァレーまで(これがNo.1)、9月17日から9月24日、ページからグランド・キャニオンまで(これが今回上演作品のNo.2)、そして最後が9月25日から30日、プレスコットからロサンジェルスまでである。この No.2 についてのフェラーリ自身の言葉がある。
「ページを見たかった、でも死にたくなかった。ページはヴェニスではなかった、どちらも水のほとりにあるのだが。ページが町だとは思っていなかった。全て思ったようには行かないものだ。
例えば、私達が乗ったボートは音が余りに小さいので、デジタル録音ではビット数がなくなってしまい、水はスイスの湖のようには反響せず、すでに録音したテープに重ね録りしてしまい、自分に腹を立て、俺はアマチュアかと罵る。なくしてしまった録音をもう一回して、それはもっとうまく行く。自分はプロだと思う。
何回も道を間違い、そのおかげでいくつか風景を取り逃がしてしまう。自分は音のためにここにいるのだと思い起こし、最も美しい所はやっぱりそこではない。時にはそれは全然一致していなかったりする。
私達はマイクを持って友達に会いに行く。彼らはいつも驚くが、私もだ。でももう何年にもなるし、彼のことを好きなのだ。「彼」とは、マイクロホンのことで、これはいつも同じである。
モニュメント・ヴァレーで、私はナヴァホの友人のジープに上着を忘れてしまった。気付いた時には彼はもう遠くに行ってしまっていた。ブリュンヒルドはメキシカン・ハットの方で帽子をなくし、私は、スプリングデール市長のフィリップ・ビムステーンの家にカメラを忘れてしまうが、真夜中にそれを取りに行った。彼ら二人ともそこにいて、私達は最後の杯を傾けた。
グランド・キャニオンでは、岩の上に座り、地面にマイクを置いて、コカコーラを飲みながら、サンドイッチを食べた。それが音楽的にどのようになったかは問わないことにする。偉大な瞬間である!」
私たちは、確かにフェラーリ夫妻と一緒に、これらの旅路を辿って行くわけだが、それにしても、これは普通のラジオ・ドラマではない。物語があるようで、実はない。「逸話」なのだ。彼らを取り巻く無数の生、人生、それらは大して重要であるわけではない。しかし、それがなければ私たちの人生が成り立たなくなってしまうかもしれないようなものだ。これこそ、ヘールシュピールと言えるだろう。(しかしながら、フェラーリ自身は、この作品について、「ルポルタージュでもなければ、サウンドスケープでもないし、ヘールシュピールでもないし、エレクトロ作品でもない。肖像でもないし、現実音の録音の提示でもない。現実の侵犯でもなければ、印象主義的物語でもない、……でもない、……でもない。ようするに、これは作曲(コンポジシオン)なのだ」と語っているが。)
フェラーリ的音楽に聞かれるものは、やや唐突だけれども、私には少し芥川龍之介アフォリズムを思い出させる。「人生は一箱のマッチに似ている。重大に扱うのはばかばかしいが、重大に扱わなければ危険である。」(続く)(椎名亮輔)