ジャクリーヌ・コー著『リュック・フェラーリとほとんど何もない』の帯の言葉「100人の聴衆に100の音楽がある、私はマイク。」を見てドキッとしたのを覚えている。
作品を作るようになってから、ぼんやりと耳を澄ますことが多くなった。
街の中で、電車の中で、小さなイヤホンを耳に詰め込むのなんて煩わしい。耳を澄ませばたちまち無限の音世界が広がる。
遠くに響くクラブ活動の声、頭上を素早く過ぎる鳥のさえずり、自分の持っている鞄の擦れる音、突然間近をすれ違う自転車のタイヤの音、車のクラクション、横断歩道のシグナル音、通り過ぎて行く話し声、、、。家の中にいてさえも、隣人が蛇口をひねる音、向かいの家の窓から聞こえる縦笛の練習、子どもの遊ぶ声、階下の住人宅の洗濯機の音、ふいに蛇口からこぼれ落ちる水。
そんな音達を聴きながら、たまらなく切ないような、愛おしいような気持ちに陥るときがある。その向こう側にある、人の営みや思いのようなものを感じながら。そして、それがいつも私の作曲の動機になる。この瞬間を、この気持ちを、なんとかして留めておきたい、そう思うのだ。
世界に鳴り響く音は、それだけで遠近感、響き、ダイナミクス、速度感、イコライジングまで施されている。それだけでも作品になってしまいそうなのだが、私はそこに、私の気持ちを注ぎ込む。それが私の作曲。いつもセンチメンタルを感じながら。
(かつふじたまこ)